毎日楽しみ
ほぼ日刊イトイ新聞



2021.10/6の「今日のダーリン」より

いいなと思ったところ抜粋
特にいいところは太字


なにかとうれしそうに笑っている彼女の、その笑いは、どういうものなのだろうかと、まねしてみたくなった。もちろん、3歳ぐらいの女のこのまねなんて、しきれるはずもないよ、ぼくは男のおじいさんだから。でも、大人たちの笑顔と、なにがどうちがうんだろうと想像して夜のソファに横たわって考えてみたのだ。しかし、どう想像してもまったくちがうのである。彼女の笑いのもとになる気持ちが、わからないのだ。ただうれしいという気持ちが、そのまま出る笑顔。ああ、それがまねできたらいいなぁと思いつつ、それは、やっぱり無理なんだろうと考えることになった。たぶん、「気持ち」がまったく似てないのだろうと思う。

〜ここまで

ここからは私が感じたいろいろ



いつからか
「その気持ち」がわからなくなってしまう

わからなくなってしまうことを
気にもせずに大人になる

合わせて「笑えない気持ちのもと」なんかを沢山経験しながら大人になる

何が「笑いのもとになる気持ち」なのかも
変わってきたりするんだろう

その混ざり具合や
「気持ちの器」の
大きさや深さや質感は人それぞれで
表からは見えない

===

子供の笑いが輝いて見えるのは、
川の上流みたいな感じじゃないかと想像してみる。

鬱蒼とした木々が繁る山の中
湧き水が溢れて
ちょろちょろ流れて集まり小川になる。
森の自然に守られた清らな水の流れは
森の自然を潤しながら、流れを集めて下流へ進む。

今の私、どうだろう。
市街地を流れる河川だろうか。

浄化施設を通したとはいえ、生活排水や雨水が流れ込んで汚れた水。
河岸には自然の生き物とともに、ゴミなんかもあって。
大雨が降ったら泥水やら土砂やらの濁流。
護岸工事が必要なくらいダメージ受けることもある。
なんてストレスフルww

いろいろを抱えながら、そこの生き物と共に河川の水としての使命を果たす。
使命を果たす中に喜びの笑がある。

清濁併呑とはよく言ったものだ。
おおらかな心、大事。

やがて海に流れてついて、
抱えたいろいろは海の生き物の糧となったり毒となったり。

果ては水蒸気になって大気に漂う。
その時には、たくさん抱えたいろいろ、全て海に置いていくから、海は大変だ。
出来るだけ毒は持ち込まないように気をつけなくちゃなんて思った。

書いていて
自分の淀み加減にうんざりしてきたなー
エッセイのテーマから外れてるし



あーあー
河の流れのようにー♪

歌ってごまかす