長勝寺のお墓 | 青森の鉛筆

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青海林檎です青林檎

北海道に唯一あった大名「松前藩」北海道

幕末には弘前藩とともに、「北狄(ロシア)の抑え」を任され、相当な負担を強いられたのですが、その松前藩13代藩主・松前徳広の墓が、弘前市の長勝寺で発見されたそうです

長勝寺境内に松前藩主・徳広公墓所跡/弘前(陸奥新報 より)

 弘前市の長勝寺境内で松前藩(北海道)13代藩主松前徳広(のりひろ)の墓所跡が見つかった。同寺に埋葬されたことは文献などに記録されていたが、墓の場所が特定されたのは初めて。記録では仮埋葬とされていたが、弘前藩の歴代藩主並みの埋葬儀式が行われていたことも明らかになった。幕末の動乱期に弘前藩に逃れてきた藩主を格式ある様式で埋葬していることから市教委などは「弘前藩と松前藩の強い結び付きを表す歴史的な資料として貴重」としている。市教委は墓所と出土品を28、29の両日と、8月1~7日の弘前ねぷたまつり会期中に一般公開する。(本文より)

墓自体は仮墓で、幕末の混乱期が過ぎ去った後に、改めて松前の法憧寺に改葬されたようですが、長勝寺の墓も仮の割には随分としっかり作られたものだそうです。

明治元年の箱館戦争後は、東北も落ち着きを取り戻したとはいえ、当時の人たちはまだまだ動乱が続く、と思ったかもしれません。

なので、しっかりとしたお墓を作っただと考えます