南部氏最盛期の長~南部晴政1 | 青森の鉛筆

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以前、津軽為信 についてブログで書きましたが、今回から、江戸時代を通じて津軽氏と対立し続けてきた南部氏、その最盛期の時の南部家当主・南部晴政(なんぶはるまさ)についてご紹介したいと思います。

南部晴政は、1517年に南部家23代当主・南部安信の嫡男として誕生しました。

南部家は清和源氏の流れを汲む家柄で、その祖は鎌倉幕府までさかのぼるのですが、南部安信の代にはかなり弱体化しており、勢力の建て直しを計っている最中でした。

中世陸奥史の都合上、津軽為信同様に、南部晴政に関する詳しい資料は残っていません。

南部家に関する資料は蓄積されていたのですが、1570年ごろに、家臣同士の対立により、資料の保管されていた三戸城が焼失、一緒に資料もなくなってしまったからだそうです。

父・安信から晴政への南部家相続の過程についても、はっきりとした資料は残っていませんが、1539年に上洛して将軍・足利義晴に謁見、1字を拝領し「南部晴政」を名乗り始めたようです。

翌年1540年、岩手に攻めて来た戸沢政安・斯波経詮に対して石川高信(南部信直の父)を派遣、斯波経詮を撃退し、戸沢政安を秋田に追放することに成功します。

これにより岩手地方の掌握に成功、更に翌年の1541年には、南部家の家督を正式に相続します。

家督相続後には、反乱を起こした工藤氏を鎮圧、先に述べた、消失した三戸城を再建しました。



参考サイト下矢印

武家家伝_南部氏 タンチョウ

南部晴政( Wikipedia より)



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