皆さん、こんにちは
青海林檎です
戦国時代後期の1570年代、現在の青森県全域は、南部家の領土でした。
全国的に見て、豊臣秀吉による天下統一戦がだいたい終わりかけている時期でしたが、東北はまだ情勢が安定していませんでした。
南部家は24代当主晴政 の代で領土を大きく広げましたが、彼の晩年には一族の中で内紛が起こるようになりました。
そんな中で、南部一族に縁があり、大浦城主であり、信頼の厚かった大浦為信 が、一族の重臣石川高信 が守る石川城を攻撃・制圧。
石川城は領土内で特に重要だった城です。
まんまと津軽一帯と外ヶ浜・糠部の一部(現在の青森県のほぼ西側半分)が、為信の手に落ちてしまったのです。
不意打ちで主要な城や砦を次々落とされ、南部側の対策は後手後手になります。
その間、大浦為信 はせっかく手に入れた領土を確かなものとするための策を、既に練っていたのです。
続く
参考サイト
津軽氏 (武家家伝 より)
南部氏 (武家家伝 より)