せつない氣持ちっていいね~駆り立てられる感じではなく夕方から夜がそっと忍び込んでくるような。とってもフラットにせつない氣持ちを感じてみるとやっぱりその先にあるのは「あい」なんだろうな~と思う。そういう風に感じられる自分になれたことがうれしい。
しあわせを紡ぐ。肉体ちゃんをいただき地球での学びをさせていただく中で、避けられないのが「死」です。いつかはまた肉体ちゃんを脱ぎ捨てるのです。その間の出逢いは奇跡と感じます。何かのご縁があり繋がっていく方たちとの関わり。わたしはこれについて考えてみたいと思いました。すべてのひとにとっての最善はなかなか難しい。でも調和していくことはできると思うんです。それを選択するか、しないか、、、は各々の個人感情、感覚が違っていますので、これが調和!とは一概には言い切れません。でも「本来の調和の意味」は意識はちゃんと分かっているような氣がしてならない今日このごろです。激動的に変わっていっている中で、なにかしらこのままではいけないのでは?と感じてらっしゃる方は増えてきています。いま何を手放して、必要なことを引き寄せるか?それはなんとなくですが、まず「補償行為をやめる」ことな氣がします。これをやめないと、自分の根幹でホントは何を求めているかがとっても見えづらいんです。補償行為は悪いことではなないですが、、、足りないから埋めようとしていることにご自身が気付くことが大事です。本当にその行為が必要ですか?それによってあなたのこころは満たされますか?ほんとのこころの声に耳を傾けていますか?それらを見極めていかないとその先に訪れるのが「不健康な依存」であることは間違いないです。いつも感じるのは調和は自分からの波及。。。まずはわたし自身、そしてわたしと関わっていく方々が、少しずつシフトしていってしあわせを紡いでいけるといいなと思います。「しあわせを紡ぐ」っていますごくピンときている言葉。紡いでいくといつか布となるイメージ☆
ばたんきゅーではなかったので、ごはんを食べてからひさしぶりに映画をみました。こちら~~ソーシャル・ネットワーク [DVD]/ジェシー・アイゼンバー,アンドリュー・ガーフィールド,ジャスティン・ティンバーレイク¥1,480Amazon.co.jpこれからお風呂に入ってばたんきゅーです(笑)
人間。ときどきおもう自分が手放しでうれしくってわくわくするときどうしようもなく悲しくて感情をコントロールできないときやっぱりもやもやしていろいろな事情が氣になるときやっぱりわたしって人間だな~と(笑)でもね、俯瞰的に見てる自分がいるからこれまでの人生みたいに氣持ちも感情もぶんぶん振り切れないのだろう。三次元の醍醐味を精一杯味わえるのも悪くない(笑)突き抜けてしまうのもいいけど、わたしの個性を失いたくないよねと思うのです。尊敬する方、素晴らしい~すてき~と感じる方々はたくさんいるけれど、そのひとたちになりたいとは思いません。その方たちのエッセンスはいただいたり真似したいなとはもちろん思うのだけど。こう思えるようになったのは「自分を否定しないで受け入れる」ことが普通にできるようになったからなんだろうな~こころが不安定だと尊敬が自己否定に繋がりやすいから。すべてではなくいちぶを・・・。そのバランスを保つの は自分軸がしっかりしてないと無理だったりするものです。昔のわたしはいまのわたしを不思議そうに見てるんだろうな~(笑)
なぜいまこの現状?現状、日本はいや世界は不安定な状況です。人間のいいとこでも悪いとこでもある・・・それは慣れてしまうこと。おはなしをしていても「最初は怖いと思ってたけど情報に振り回されて慣れてしまいました。」と。それ慣れたからいいとかいう問題じゃないと思うんです。まず情報に振り回されるのは自分の軸がぐらぐらなのでは?自分のセンサーが鈍っているとしか言えません。なにかこなれていって、なんとなく何も言わないし何も行動しないし、流される。このひとりひとりの意識がいまの集合意識です。そしてそれが現状として表れているだけ。ダメなことをダメと感じない、誰かが何とかしてくれる・・・これは傲慢だし身勝手です。そういうひとに限って文句だけは垂れるのです。ではご自身なにかなさったの?と聞きたくなります。このままでいいんでしょうか?そろそろこころの不干渉も不感症もやめませんか?(笑)