1995年 1月17日
5時46分
神戸市を中心とした阪神地区と
淡路島を襲った大地震は、
6千人以上の方が亡くなる
大震災となりました。
この年、学生だった私は
朝早く起きてラジオを聴いていて
第一報を知ったとき耳を疑いました。
そして、時が経つにつれて
被害の詳細が明るみになると
見慣れた風景が一変している現実を知り
あまりの被害の甚大さに
愕然としました。。。
そして、自然の脅威の前には
人智などあまりに無力だということを
思い知らされるのでした。
18年が経過した今も
昨日のように思い出されます。
私も関西出身で、この頃から頻繁に
休みがあると出かけていまして
街並みも風景も記憶に鮮やかで
被害を見るにつけ胸が痛くなりました。
この年も、3が日が過ぎた後に
滞在していた大阪市内から
帰った矢先のことでしたので
ショックは大きなものでした。
そして、奇しくも
一昨年には東日本でも地震・津波で
大きな犠牲を出しました。
決して忘れることなどないのです。
この日が訪れたとき
思い出して祈りを捧げることが
何よりの供養なのだと
改めて感じた18回目の「命日」でした。
5時46分
神戸市を中心とした阪神地区と
淡路島を襲った大地震は、
6千人以上の方が亡くなる
大震災となりました。
この年、学生だった私は
朝早く起きてラジオを聴いていて
第一報を知ったとき耳を疑いました。
そして、時が経つにつれて
被害の詳細が明るみになると
見慣れた風景が一変している現実を知り
あまりの被害の甚大さに
愕然としました。。。
そして、自然の脅威の前には
人智などあまりに無力だということを
思い知らされるのでした。
18年が経過した今も
昨日のように思い出されます。
私も関西出身で、この頃から頻繁に
休みがあると出かけていまして
街並みも風景も記憶に鮮やかで
被害を見るにつけ胸が痛くなりました。
この年も、3が日が過ぎた後に
滞在していた大阪市内から
帰った矢先のことでしたので
ショックは大きなものでした。
そして、奇しくも
一昨年には東日本でも地震・津波で
大きな犠牲を出しました。
決して忘れることなどないのです。
この日が訪れたとき
思い出して祈りを捧げることが
何よりの供養なのだと
改めて感じた18回目の「命日」でした。