いつもありがとうございます。


心と身体をつなぐ癒しセラピスト リナンシェ♪です。


先日の「幸せってやっぱり」


ちょっと補足します。


スピ好きな方はすでにおわかりのことだとは思うのですが、


一応・・・。



”本物の幸せ”は、外側の条件に全く関係ない!



きっとそうなんだろうな~とは思いますが、


それはそれとして、


やっぱりいまある幸せ、


家族がいるとか、


友達がいるとか、


今日も食事が食べられるとか、


住む家があるとか、


お仕事があるとか?


今日も生きてる!とか、


(朝どんより起きることもありますが(汗)


夕焼けが綺麗だなあとか、


当然のこととして受け取っていること


そんな幸せに感謝することは


やっぱりとっても大事なこと、ですよねo(〃^▽^〃)o



「至福」には憧れるけれど、


それが来るのは、


どうも自分のあずかり知らぬところ・・・なのかな?



そんな感じ。

どんな感じ?


それでは、ステキな夜を☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


最後まで読んでいただいてありがとうございます。


リナンシェ♪



いつもありがとうございます。


リナンシェ♪です。


昨夜 袋井市のお寺「可睡齋」で開かれた


「復活 阿雲の呼吸」を聴きました。


そこでのお話・・・



スピリチュアルではよく


「いまある幸せにきづくこと」


と言われます。


それはとっても大切なことだと思うのですが、


自分が「いまある幸せ」


と言って思い浮かぶのは、


家族がいることや、


友達がいること、


毎日食事がいただけること、


家があって・・・


○○があってありがとう!


なんだか外側の条件に左右されるなあ・・・?


と思っていました。



阿部さんや、黒齋さんの言われる


「至福」体験の幸せって、条件関係ないはず!


と思っていたところ、


やっぱり、そういうこと!と言うお話が聞けました。


条件関係ないんですって!



そんな至福体験!


いいですよね~



いつもありがとうございます。


リナンシェ♪



おはようございます。


今日もありがとうございます。


今朝のカード



心と身体の自然療法セラピスト☆リナンシェ☆


「平和」


メッセージは笑顔、愛、平和



精神世界の先達達(最近のスピリチュアルリーダーも)


自分自身の内なる平和が世界の平和に繋がると


たくさんのメッセージを送っています。


何かにつけふと思い出す「聖書のたとえ話」は、


「罪を犯した女性に村人が石を投げつける場面


通りかかったイエスが、


『一度も罪を犯したことのない者は石を投げなさい』


と言うと、村人はひとり、またひとりと去っていき、


最後は誰もいなくなった。


イエスは女性に言った。


『行きなさい。あなたの罪は許された』」


・・・うろ覚えですが・・・


私はたくさん人を傷つけたり、悪いこともしたりしてきた。


だから、人を責めたり裁いたりするのはよそう。


そして、そんな自分も許す。



世界平和はそこからだ、と先達達は伝えています。



最後まで読んでいただいてありがとうございます。


今日一日、他人を批判しない、自分も批判しない、


そんな一日を心がけてみます。



リナンシェ♪

「隣の芝生は青い」
・・・・・・・・

知り合いが

仕事や事業で活躍するのを見聞きすると・・・

「いいね、いいね、よかったね!」

と同時に、なんだかうらやましい・・・気持ち・・・

あ~私もあんな風になれたら・・・

あ~どうしたら上手くいくんだろうか・・・

わかっているんです、

あの人のやってる仕事は自分がやりたい事ではない・・・


OSHO の言葉・・・・・俳句 より

一茶は書いた——

露の世は
露の世ながら
さりながら
彼は自分の子どもをとても愛していた——母親はもう亡くなっていた。彼はその幼な子を愛していたが、その子もまた死んでしまった。子どもの死に臨んで、彼はこのささやかな俳句を書いた…… 多くは語っていないが、それでも、多くのことを語っている。

露の世は
露の世ながら


そう、この世は、露のしずくだ——そして、とりわけこの幼な子は。

さりながら

それでも、愛が起こる。それでも、人は心のなかで探し求める。

禅はこの世に反対していない。それどころか、禅は、あなたのしずくのような愛を大海のような愛に変える。それは絶対的に現実のためにある——逃避ではない。それは自分の実存の根そのものへと入り込むことだ。

そして自分の根を知っている者だけが、生きる。

他の者は偽っているだけだ。

自分以外のだれかの役割を演じているただの演技者だ。

本来の自分である人は、他人の役を演じていない。彼は彼自身だ。彼の権威はだれかから来るのではない。それは宇宙そのものからやって来る。
・・・・・・

そう、誰か、他の人、の役割を演じていては

結局いつまでたっても他人をうらやましく思う繰り返し・・・

さて、私が本当にやりたいことって?????

「いやいや、わかっているでしょう!」と人は言う。

というか、「他人に聴くなよ!」(笑

「答は自分にしかわからない」

「結局自分がいいと思ったことをやるんだからね(笑」


自問自答に最後までおつきあいいただきありがとうございました。

リナンシェ♪




阿部敏郎さんのブログを読んで、


批判しない、すべてに”YES"


まずは一日、とやってみました。


http://abetoshiro.ti-da.net/


なんと頻繁に批判していることか( ̄□ ̄;)


相手の言う一言一言に、


いいだの違うだの、ジャッジしていたことに


あぜ~~~~~~!!!ん


「○○なんだけど」


「ふ~ん、じゃあこうすれば~」

(批判はしてないけど、ただYES、じゃないよな・・・)


一人でいる時は、


昨日あの人が言っていた「・・・」


FBで読んだコメント・・・


いろいろ思い出しては、


それぞれに、いいだのそりゃあおかしいだの、


頭の中で独り言・・・


うわ~~~~~~!!!こりゃあだめだ(@_@)


あ、いやいや、これにもYES・・・。


とりあえず、こんな頭の中だ、ってこと。


ふ~ん、そうなんだ~。


以上!


OSHO のメッセージにもありました。




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OSHO JAPANESE FB メッセージよりシェアさせていただきました。

OSHO : 瞑想とは

瞑想とは、あなた自身のマインドを観る単純なプロセスだ。
マインドと戦ったり、コントロールしようとせず、
ただ無選択の観照人としてとどまる。
何が通り過ぎようと、良いとか悪いとか、どんな偏見も持たず、...
単にそれに気づいていなさい。
これはマインドに来るべきではないとか、
これは醜い思考だとか、
これはとても美しく道徳的な思考だとか、
あなたは決めつけない。

あなたは判断するべきではない。
あなたは無判断にとどまるべきだ。
なぜなら、あなたが判断する瞬間、瞑想を失う。
あなたは同一化する。
友達になるにせよ、敵になるにせよ、
あなたは関係性をつくりだしている。
瞑想とは、あなたの思考のプロセスに無関係にとどまること、
まったく無関係で、冷静で、穏やかなまま、
通り過ぎるものを何であれ観ることだ。

するとそのとき、奇跡は起こる。
ゆっくりゆっくりと、通り過ぎる思考が少なくなっていくことに、
あなたは気づくようになる。
あなたが気づいていればいるほど、より少ない思考が通り過ぎ、
気づいていなければいないほど、より多くの思考が通り過ぎる。
その往来は、あたかもあなたの覚醒しだいのようだ。
あなたが完璧に気づいているとき、たとえ一瞬だとしても、
すべての思考は止まる。
完璧に気づくや否や、突然の停止がある。
そして道路は空っぽで、そこに往来はない。
その瞬間が瞑想だ。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

今日も素晴らしい一日を。

リナンシェ♪