ずっと体調が悪く 外へもでられない


部屋に籠もって ただただ TVから垂れ流される意味もない音と映像をぼーっと見ていた


これではいけない


いいわけがない


そう思いつつ


どうしようもできない自分にイラつき


死にたくなるけど死ねない自分に又イラつき


そんな毎日を過ごしていた


毎日届くAmazonからの荷物


それだけが私と世の中を繋ぐ唯一の【もの】だった


私は岐阜に住んでいる


色々あって名古屋の名市大病院に通っていたが


そろそろ通うのもしんどくなり 地元の病院に転院することにした


地元の病院の中でも まぁ大きいところの方が良いのかなという安易な考えで

主治医に

👩‍🦰「岐阜大学病院に転院したいのですが」

と伝えたら

👨‍⚕️「無理ですね」

は?

は?

え?

👩‍🦰「どうしてでしょう」

👨‍⚕️「多分受け入れてくれないかも」

は?

え?

なんで?私、死ぬの?手遅れってこと?

頭の中は真っ白

患者の権利ってなんだっけ?


👨‍⚕️「受け入れてくれるところ探しておくから」


その日はどうやって帰ったか覚えていない。


帰ってからいろんな人に聞いてみた


製薬会社の人や医療事務の人 保険やさん


みんな口を揃えて「聞いた事ないわ」


と不思議そうだった


まぁ私が悪いんだろうな


毎月毎月 名市大の診察といえば血液検査💉に始まり 肺のレントゲン🫁 

1時間ほど待ってから診察


👨‍⚕️「こんにちはどうですか?」

👩‍🦰「変わりないです」

👨‍⚕️「数値もあまり変わりがないのでこのままイブランスを続けましょう」

👩‍🦰「はい」

👨‍⚕️「では又来月」


それでおしまい


あとはケモ室でランマークを💉


緩和ケアの先生の面談し、不安を抑える薬とうつの薬の処方箋をもらって帰る


毎月毎月


これの繰り返し 

なんの説明もなく

今の私の体の状態も知らされず


私は転移があったりしたらすぐに言ってくれるだろうし、薬を変えるタイミングも先生に任せておけば大丈夫だと思っていた。


でも違った


私は 患者という名前の ベルトコンベアーに乗せられた まさしく【もの】であり

【実験材料】だった


少なくともわたしには


そうしか思えなかった。


そして主治医が転院先に推してきた病院に転院が決まった。


岐阜市民病院だった。


地元では2番目に大きい病院。


自宅からは一番近い


👨‍⚕️「ちゃんと頼んでおいたからね」


👨‍⚕️「よかったね」


もうどうでも良かった。


ありがとうございましたとだけ言って


診察室を出た。


良かったて何?笑えてきた


そこには大人の事情がめちゃくちゃあるのだろう


病院選びを間違えたとは思っていない


放射線科には本当にお世話になったし


病棟の看護師さんは最高に良い人だった。


バイバイ名市大病院


ここまでが転院前のいきさつ。


長くなったので


岐阜市民病院への転院最初の診察での

驚愕事実は

また後ほど書きたいと思います。


乱文ごめんなさい。



皆様の治療がうまくゆきますように。


副作用が少なくすみますように。


「生ききる」という事が できますように。