今日から日本はお盆ですね。
海外で生活してると、日本の年中行事を忘れてしまう時もあって、
この間、3月に日本に行った時、金山の駅を歩きながら、
「なんでこんなに袴でブーツの人が歩いてんだ?」
日本にいたら当たり前なのに、その時は本当にわけがわからず、
次の日になって、
「そうだった。日本は3月が卒業シーズンだった!」
と思い出した。
その時はすでに韓国では新年度、新学期が始まっていたので、
すぐには思い浮かばなかった。
それでも、絶対忘れないのが二つだけあって、
それがお盆とお正月。
私が幼い頃、お盆にお墓参りに行くのは父方の祖父だった。
それがいつの間にか祖母、父がそこにいる。
開拓のために北海道に来た祖父。
仲間と開拓をしながら、想像を絶するいろいろなことがあっただろう。
あまりの厳しさに耐えかねて、仲間が都市に行くのに、
それでも残って開拓した畑を守った。
その27ヘクタールもの畑は父が守り、今は兄が中心となって守っている。
襟裳岬という歌の冒頭、
♫北の街ではもう
悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい♫
子供の頃は何のことかさっぱりわからなかった。
それが、生きながら様々な経験を重ねるうちに、
故郷をあとにして、北海道に行き、開拓している人々の置かれた状況と、
開拓されて行き場を失ったアイヌ民族の状況がそれとなくわかって、
悲しみですら、暖炉の燃料にしなければ生き延びることのできなかった、北の大地での様々な立場の人達のことを想像した。
この歌詞には、そういう悲しみさえも燃料にして生き延びた、たくさんの人生の思いが詰まってるんだな、と思うようになった。
今年、今までに何回も家にお邪魔してお茶をした友人がガンで他界した。
彼女は私よりずっと若くて、ひとり娘。
実家のご両親の心痛はいかばかりだろう。
そして、残された幼い子供たちはこれからどうするんだろう。
そんなことを考えていたら、
別のところでは、これまた大切な友人の夫がガンで闘病生活を強いられている。
その状況を祈ることしか、いや、祈ることもできずにただ、呆然と眺めるだけの自分がいて、
取り乱し、叫んだとしても何の不思議もない中、
淡々と現実に対処している彼女を見てると、また、涙が流れてしまう。
二年前に下の息子が死地を彷徨った時、
生まれてくる順番で、死ぬわけではないんだと、あれほどの思いをしていても、
また、日常に帰ると忘れてしまう凡人の私。
魂は永遠だと言われるし、私もそれを信じている。
でも肉体をまとっているこの人生は有限なんだと、
ことあるごとに思い出され、
いろいろな思いをした先人達に思いをはせている。
今でもあちらこちらで、悲しみさえも生きる力に変えなければ、生き延びることのできないような状況に置かれた人がたくさんいる。
これは、私が北海道に思いを寄せた時によく見る方の動画で、
映像のことはよくわからない私も、感動ばかりしている。
警戒心の強いキツネの家族の映像を見たとき、多分読者登録したと思う。
技術も何もかも素晴らしい、
でも多分私が一番感動してるのは、
被写体に対する深い深い愛情で、
それを表現するための技術であり器具なんだろうと感じるところ。
いろいろな思いが重なるお盆。

生き延びてみると、何事もなく平穏に過ぎて行く一日、一日が、実はどんなにたくさんの奇跡の集合なのかを感じるようになった。
よく、当たり前という。
でも、斎藤ひとりさんはこう言ってた。
「ありがとうの反対語は、当たり前だよ。」
先人の立場からすると、今の私達の生活は、奇跡の固まりだろう。
今、生きてる、この瞬間。
今、感じてる、何かの感情。
それらが連続して、人生という一本の大河ドラマになっていくわけで、
たまには、私というまだ終わっていない大河ドラマの前に確実に存在した、いろいろな時代背景の大河ドラマを思い浮かべてみることも大切なことだと思うようになった。
そして、何も言わずに、静かに手を合わせよう。
この時代に生まれて当たり前という、わたしの傲慢が消え去るまで、
心の雑音が消え去るまで、
どこからともなく湧き上がる心の疼きが消え去るまで、
静かに手を合わせよう、と思う。