武道や武術って、何で稽古をするてるんだろう?
そんなことをたまに聞かれます。
深く考えてみました。
NHKの大河ドラマ「どうする家康」
NHKの大河ドラマ「どうする家康」が面白くてしょうがない!
思わず、岡崎の大河ドラマ館に行って見てきました。
戦国時代のテレビやドラマを見ていると、簡単に人が斬られたり、自害をしたりしていますが、そこまでする必要があったのでしょうか?
それが風潮や習慣で、避けられないものだったのか?と思ってしまいます。
戦後時代とは言え、武士以外は平和で ごく一掴みの武士たちがクローズアップされていたのか、戦いの歴史しか残っていない気もします。
菩提寺にも行ってきました。
徳川家康の旗印であった厭離穢土欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)。「平和な世をつくるために合戦をする」という意味だったのでしょうか?
本田忠勝(平八郎)
山田祐樹演じる徳川四天王の一人、本田忠勝(平八郎)は、生涯57回の戦において、傷一つ追わない、最強の戦国武将と言われています。
織田信長、豊臣秀吉からも一目置かれているような人物。きっと恐れを知らず、死ぬことに対して恐怖心もなかったのでしょう。
蜻蛉切という槍を使い、軽い甲冑を身に付けていたようですが、攻撃的で遠い間合いから、相手に突っ込んでいったのではないでしょうか。
肉を切らせて骨を切る(断つ)
空手の先生が、よくこの言葉を使っていました。
薩摩藩の示現流からきているとも言います。
一撃で相手を倒しに行く示現流では、このような感じだったのでしょう。
僕らは何かと心に不安をいだき、怖がってしまう。その心が前にでる・突っ込んでいく気持ちをなくしてしまう。
それは性格かもしれませんが、生きるか死ぬかの戦いではそんな気持ちが大事。
相手の懐に入って初めて勝つことができると。
我々の組手の稽古でも、とても大切だと思います。
Thinking too much
これも空手の先生の言葉。
組手になると怖がって、あれこれ考えすぎて前に出れなくなる。
もちろん稽古があって裏打ちされた自信がないと、なかなかそのような心境には、なれないかもしれませんが。
まずもって自分に勝つことが肝要である。
オートマティックに体が反応するのに任せる。
本田忠勝はきっと無の境地だったに違いない!
日常でも思考だけに頼るのでなく、ブルースリーのように「Don't think! Feel.」だったり、反射的に動く・反応するのも面白いと思います。
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明鏡止水
先日NHKの明鏡止水がテレビでやってました。
たまたま槍の特集でしたが、槍の長さは6mのものもあり、相当遠い間合いだったと思われます。
戦場ではかなり有効だったのではないでしょうか。
MCの岡田さんが、武術家の先生たちの技を見た後に、素晴らしい事を言ってました。柳生石舟斎は「他流に勝つべきに非ず、昨日の我に今日は勝つべし」。「戦いに見えて、戦いとは逆の方向に行くというのが、自己を高める・武術である」と。
私も空手を指導しているのは、「ケンカのためでなく、日々争いがおきないように、穏やかに過ごせるように、心と体を整えている」と改めて感じました。
きっと戦国の時代でも、戦のない平和な暮らしを望んでいたのではないでしょうか?