あなたが相手を攻撃するたび、子供のこころは削られていく

 

離れて暮らす母として、今どうしても伝えたいことがあります。

 

自立した私の子供たちは、自分の意思で私に会いに来てくれます。

 

 でも、彼らはその事実を父親には決して言いません。

 

「友達と遊んでくる」 「買い物に行ってくる」

 

そう言って、私に会うために“嘘”をつくのです。

 

もう大人に近い年齢になってもなお、

 

 親の感情の板挟みになり、心を削りながら。

 

もしこれが、もっと幼い子供だったら? 

 

監護している親の言葉が“絶対”の世界にいる子だったら?

 

どれほど深い傷を抱え、どれほど自分を押し殺しているのか。

 

想像するだけで胸が痛みます。

 

今日は、ある「6歳の男の子」の視点から 

 

大人の争いに巻き込まれた子供の心の声を 物語として綴ってみます。

 

🌱これは、ある家庭の一例です。 

 

立場が逆の場合も、性別が違う場合もあります。

 

 けれど、子供が抱える“痛みの本質”はどんなケースでも同じです。

 

 

渡された「ミッション」

 

 

今日は日曜日。 本当なら楽しみなはずのお父さんに会える日。

 

でも、朝からお腹のあたりが重い。

 

家を出る前、お母さんが僕の肩を掴んで言った。

 

「いい? 今日はお父さんに新しい自転車を買ってってお願いするのよ。

 

 サッカーボールも。 新しいのがないと試合に出られないって言いなさい。

 

わかった?」

 

お母さんの目は笑っていなかった。

 

お母さんが苦しんでいるのを、僕は知っている。

 

だから「わかった」と言うしかなかった。

 

これは“お願い”じゃない。 絶対に失敗できないミッションなんだ。

 

 

 

 

楽しめない日曜日

 

 

公園で会ったお父さんは、笑顔で僕を抱きしめてくれた。

 

 サッカーをして、アイスを食べて、すごく楽しい。

 

でも、頭の中にはずっとミッションがある。

 

勇気を出して言ってみた。

 

「お父さん…自転車とサッカーボールを買ってほしいんだ。

 

 サッカーボールがないと試合に出られないんだ…」

 

お父さんは一瞬、とても悲しそうな顔をした。

 

「そっか。でもね、そういう道具を買うためのお金は

 

 毎月お母さんに渡しているんだよ。 お母さんと相談してみてくれるかな?」

 

お父さんは悪くない。 それはわかっている。

 

でも僕の頭には、

 

「買ってもらえなかったらお母さんに怒られる」

 

 「お母さんをガッカリさせてしまう」

 

そんな恐怖が浮かんで、涙が出そうになった。

 

お父さんを困らせたいお母さんと、困っているお父さん。

 

 僕は、どっちの味方をすればいいの?

 

 

 

僕は「荷物」なのかな

 

 

帰りの時間。 本当は僕の家でお別れするはずだった。

 

でも、お母さんからお父さんにラインが来た。

 

「今日は友達の家にいるから、そこまで送って」

 

お父さんは困った顔で地図を何度も見ている。

 

僕は、お父さんとお母さんの間を運ばれる荷物みたいだった。

 

お母さんの都合で、僕の居場所がコロコロ変わる。 

 

お父さんの困った顔を見るのも、もう嫌だ。

 

 

 

「子供のため」という言葉の正体

 

 

 

お母さんはいつも「あなたのためよ」と言う。

 

でも、本当に見ているのは“僕”なのかな?

 

お父さんが困った顔をすると、お母さんは少し安心する。

 

 僕が「お父さんに買ってもらえなかった」と言うと

 

 お母さんは嬉しそうにお父さんの悪口を言う。

 

お母さんが喜ぶのは、僕が楽しかった時じゃない。

 

 お父さんを責める材料が増えた時なんだ。

 

 

僕は、ただの子供でいたい

 
 

お父さんが昔悪いことをした、とお母さんは言う。

 

 だから罰を受けなきゃいけないんだ、と。

 

でも、その“罰”を僕が届けるのは、もう疲れた。

 

僕は、お父さんを攻撃するための道具じゃない。

 

お父さんのことも、お母さんのことも、どっちも大好きなんだ。

 

普通に遊んで、普通に笑って、 

 

「今日はお父さんとこれをしたよ」

 

と お母さんの前でも笑って言いたい。

 

 

「お父さん大好き」って、誰にも嘘をつかずに言いたいだけなんだ。

 

 

 

 

 

「子供のため」という武器を置いてほしい

 
 

この記事を書きながら、胸が締め付けられる思いです。

 

自立した私の子供たちですら、

 

今もなお 親の感情の板挟みになって嘘をついています。

 

「子供のため」という言葉を 自分を正当化するための盾にしていませんか。

 

子供は、親が思う以上に賢く、そして残酷なほど優しい。

 

 親を喜ばせるために、自分の心を殺してしまうほどに。

 

その優しさに甘えて、子供を戦場に引きずり込むのは もう終わりにしませんか。

 

子供は所有物でも、復讐の道具でもありません。

 

一人の、独立した魂を持った人間です。

 

あなたが握りしめている正義

 

 子供の心を削り続けているのだとしたら。

 

今すぐその手を離して、こう伝えてあげてほしい。

 

「どっちのことも、好きでいていいんだよ」

 

その一言が、子供の人生を救う光になります。

 

私自身、子供たちに嘘をつかせてしまっている現状を 重く受け止めています。

 

 だからこそ、今、変わらなければいけないと思うのです。

 

 

 

私自身も、大人になってから

「会いたい人に会えなかった」

 
 

この記事を書きながら、胸の奥がずっとざわついていました。 

 

それは、私自身にも似た痛みがあるからです。

 

私は大人になり、結婚し、家庭を築いていました。

 

 祖母からすれば、ひ孫にも会わせていた時期です。

 

それでも、母から 「おばあちゃんには会わないで」

 

 そう言われた時期がありました。

 

父の実家との関係が悪かったこと、

 

 いろんな出来事が積み重なっていたこと、

 

 理由は理解できます。

 

でも、気づけば祖母との交流は途絶え

 

私は祖母のお葬式にも行っていません。

 

 

お線香もあげていない。

 

 命日も知らない。

 

 ただ「亡くなった」という事実だけが、ぽつんと残っている。

 

どうしようもなかった。

 

 大人になっていても、家族の事情の中で動けなかった。

 

それでも、私にとって祖母は 今も

 

大好きなおばあちゃんのままです。

 

心の中で思い出すことまで、 誰にも奪うことはできないから。

 

父は祖母より先に亡くなりました。

 

 祖母は本当は父の葬儀に来たかったはずなのに、来られなかった。

 

父の妹弟夫婦は来たけれど、すぐに帰ってしまった。

 

あの時の空気の重さ、 言葉にできない距離感。

 

 私は全部、感じていました。

 

だからこそ、強く思うのです。

 

「誰かを想う気持ち」だけは、 どうか大人の事情で奪わないでほしい。

 

子供であっても、大人であっても、

 

 会いたい人に会う自由は、

 

その人の人生の一部だから。

 

私が失ったものを、 今の子供たちには失わせたくない。

 

その願いが、この記事の根っこにあります。

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 何かひとつでも、心に届くものがあれば幸いです。