※昨日の記事は、昔のスポ根ドラマの、コーチ役のセリフくらい暑苦しかったですね(苦笑)
削除しようとも考えたのですが、「これだけ暑苦しく、きつく、重く生きてきたのが
いま、な~んにも縛られず自由に生きることができるようになった」
と言う事を伝えようとしたら暑苦しくなってしまったので(笑)
<友蔵こころの俳句>程度の独り言、として置き捨ててくださいm(__)m
さて「統合」。
ひとこと解説をいたしますと、
<目を醒ましていく」ために、内側にでてきた「心地よくないバイブレーション」を
手放して、広がっていく、手放して、広がっていく>
もっと理解できないか(苦笑)。
居心地よく感じることができない『こうあるべき』というような通説、慣例などから解き放たれ、
本来の自分を思い出し、
もともと 私たちは“純粋さ”ですべてとつながっている完全な存在であることに気づくこと。
元々の私は自己嫌悪の塊で。
何故なら父の一族が、余りにも立派な方々しかおらず
『勉強が出来て』『社交的で』『人望があり』『学歴優秀』『社会的地位がある』
のが普通でした。対人恐怖で、社交性がなく、口もきけず、
頭が悪い私は、<規格外>とある親戚に評され
出来る限りこちらの方々とは関わらずに生きるようにしてきました。
医学部に進学した時は「あのみほが?うそでしょ?」
となりましたが、中退した時に「ほらみたことか、分不相応なことするから」
目立たず、騒がず、口を利かず。ひっそりと生きてきました。
統合、に出会った時、この魂にしみこんでしまうくらい深い自己嫌悪に関しても
その作業をしてきました。
自己嫌悪、はなくなってきたものの、自分以外の人間が自分を評するのは
自由だし。ただ、どう評価されようといいや、という気持ちにはなっていったので
何とでも言え、と開き直れたことが、自分の感じた解放感でした。
昨夜。
父方従兄弟の妻が亡くなり、通夜に伺いました。
両親とも末っ子なので、いとこは、私より親に年が近い人が大半です。
通夜の後の食事の場で、一人の従兄弟が
「そういやみほ、占い師になったんだって?仕事上手く行ってるのか?」
と話しかけてきました。この方は悪意のない方です。
「楽しく、生きがいもってやらせて頂いていますよ」
そしてさっと手を取り、手相を見て簡単な解説とアドバイスをしました。
彼らの暮らしぶりに特に興味は持っていなかったので、環境等の詳細は知りません。
多分、他者には言っていなかったようなことまで私が言いあてたので
「え~?みほちゃん凄いよ。そんなことまで判る?」
続いて彼の妻にも同じことをすると
「やだ!そのとおりよ。判っちゃうんだ!」
大きな声を上げたので、なんだなんだと人が集まってきて、みほすごいよ、
皆言い当ててる、と従兄弟が言ったもので、幾本もの手が目の前に差し出されました。
解説とアドバイスをすると、それぞれが、わ~、怖いようだ、と言いつつも満足したようで
「そういやみほちゃん、社会人になってから大学院行ったって聞いたけど」
「はぁ、まぁ入れてくれる学校があったもので」
「いや~、大学院行った人他にあったっけ?誰もないよな」
「たいしたもんだなぁ、黙々とやってたもんなぁ」
自己嫌悪の塊、規格外、の自分があっという間にトップに躍り出ていました。
避けていたから判らなかったけれど、話してみると
親戚の7割はいい人達でした。3割には苛められてきましたが。
苛める方々が誰も来ていなかったことも、萎縮せずに話せた要因でした。
「統合」は自身の中で行う感情の処理、なのですが
こんな風に、形として見せられる、ということもあるのですね。
確かに、他者の評価に対して怯えていたので、他者の反応を見せて貰えないと
理解できない処もあり、自己満足にすぎないかもしれない、という
不安めいた部分は残ります。何も気にしない、という選択肢はありますが
相手の反応を見せられたら、その後、第二次不安、が起きることはなくなる。
第二次不安の再度統合をしなくて済む。その労力を他に向けられる。
前記事にも書きましたが、今週は、こうに違いない、と思い込んでいたことに関し
そうではなかった(判らない書き方ですみません)ことを、
他の出来事により示される、ということもありました。
今週は、統合への答えが、形を以て示されるという出来事が重なっていて、
そんな時期なのかもしれません。
自身の中で納得するだけでなく、他者の意見を知ることに寄り
より、明確に統合を体感することができるなら
それもありじゃないかな、と思った出来事たち。
国家機密クラスなどではなく、他愛ないことなのだけれど。
でもそれは、自身には大切な内容。
なので今、雲一つない明るい空、の気持ちです。
ずっと、もやもやした渦のようなものがぐるぐるしていることが当然だったのに
ぐるぐるしていない事って、こんなに軽いんですね。