どうもこんにちはアラフォーオタクのリンです。


前回は鬼滅の刃について気付いたことを、私の事を以前から知る人には誰ひとりとして教えていないこのブログを新規で作って「王様の耳はロバの耳ー!」と吐き散らしておしまいにするつもりでしたが(鬼滅の刃好きのほとんどの人にとっては、ひとつ前の記事はわかっても何のメリットも無くむしろ不快だろう内容なので自分のオタクアカウントで発信するには憚られました。でも私の中では結構大きな気付きだったので、世界に沢山いるどなたかが1人でも「なるほど」と思ってくれたらハッピーと思って)。


しかし久しぶりに頭の中の思考を文章にする行為はとても気持ちが良く、文字に書いた方が思考がまとまる自分の特性を再認識できたので、以前から気付いていた事と、さっき考えていて新たに気付いた事を少し書きます。


世にあってヒットしている大体の物語は作者の自己セラピーである事がほとんどです。

作者は現実世界では叶えられない欲望を主人公や作中の人物に自己投影して、自分の欲望を叶える。

そうする事で幸せや満足を想像の中でだけでも得て、欠けていて足りない自分を癒すのです。

圧倒的に欠けていて足りない心が、そのままだと死んでしまう激しい空虚の傷の痛みが、それをなんとか埋めよう癒そうとしてもがき苦しむ強い衝動がなければ、人は誰もわざわざ、作るのがとても大変な物語を作って書いたりしないでしょう。


ひとつ、とても大切な真理があります。

それは、自分が他人にすることは、本質的にはなにもかも全て自分の為であるということです。


例えば、重い荷物を抱えて難儀しているお婆さんを見つけ、手を貸して大丈夫かお婆さんの意思を確認した上で手を貸して荷物を運んであげる事は、一見するとお婆さんの為に見えます。

確かにお婆さんは感謝しますし、お婆さんの為にもなったでしょう。

しかし、本質は自分がそうしたくてした事により、良い事をして自己肯定感を高め、私は優しい良い人間だと良い気分になる、という自分の為であるのです。


よく、将来の貴方のためなんだから勉強しなさい、あれをしなさいコレをしなさい、と口うるさく子供にいう親御さんもおられます。

そういう方などは完全に100%自分は子供の為を思って言っていると頭から思い込んでいます。


確かに、勉強して知識と学歴を身につける事は、安定した職に就ける確率が上がるので将来の子供の為になるでしょう。

自分が子供の頃にろくに勉強せずに低学歴のまま社会に出て苦労した分、子供にはそんな苦労をさせたく無いという気持ちもあったりするのでしょう。


では、子供が言われた通り勉強をして、あれもやらせコレもやらせて、親御さんの望み通りに子供を操りコントロールし切った結果、望み通り一流企業に就職したり、一流のアスリートになったり、沢山のファンがいるアイドルになったり。

見た目上は親御さんの望み通りの素晴らしい人間が出来上がったとします。

それで満足しているのは一体誰でしょう?

親御さんですよね。

決して親御さんの欲望の為に操り人形になった子供ではありません。


私はひとつ前の記事で、鬼滅の刃の作者は自分が何をしているか気付いていて物語を作ったのだろうと確信を持って書いていました。


しかし鬼滅の刃の時透無一郎が、「情けは人の為ならず」を巡り巡って自分の為、という意味だと言い、その言葉通り「巡り巡って」自分の為になる、という一連の出来事を作者が描いていたのを思い出し、「あれ、もしかして作者は色々気付き切って鬼滅の刃を描いていた訳ではないのかな」と思い直しました。

私が最初の頃は訳もわからず、ただ書かないと死んでしまう強い衝動に突き動かされてお話を書き続けていたように。


巡り巡ったりしなくても、人のためにする事は最初から全部、頭の上から足の先まで、徹頭徹尾、全て自分の為なんですから。


ここで創作は「作者の自己セラピー」「何かする事は全て自分の(物語では作者の)為」という2つを軸に鬼滅の刃をもう一度じっと見つめて、ひとつ気付きました。


自分の中の、自分では到底認めることができないひどく醜い部分を、全て鬼の形にして殺し尽くし滅することが鬼滅の刃のふたつめの本質であると。

作者は自分が愛されない理由を、自分が醜いから、醜い心を持っているからだと強く思ったんだなと。


確かに、禰󠄀豆子≒作者が、自分ひとりが優しい兄に一身に愛される為に兄以外の親兄弟全員を無惨に殺させたり、完全に自分ひとりだけを見てほしいから善逸の大切な師匠を自分で切腹する状況に追い込み、兄弟子を自分の手で殺させ孤独にさせたり、蜜璃は小さな鬼禰󠄀豆子には姉的役割で必要だったけど人間禰󠄀豆子には必要ないしむしろ居ると善逸がよそ見するから邪魔なので最終戦で小芭内とまとめて死ぬ事にしたりするような精神性は、到底自分で認める事は出来ないレベルかも知れませんね。


極論、自分が愛されないのは全部自分の中の鬼が悪いので私は全然悪くない、という、なんだか半天狗みたいな作者のマジで必死な心の言い訳がポロッと見えて来ました。


いやいや、確かにびっくりするほど醜いけども、それも全部自分ですやん。半天狗のことならわかるけど、自分のことはやっぱり自分ではなかなかよくわからないというか、無意識の全力自己防衛で考えないようにしているものなのかな。


そして、小さな貴方が愛されなかった理由は、貴方が醜かったからじゃないですやん。

子供を愛せない親御さんの元に生まれてしまったという、ただの不幸な事実があるだけですやん。

あ、いや、完全に子供のせいじゃないとはいえないのか、つまり子供を愛せない特性を持った親の子供の特性は、子供のせいでは全く無いにしろ遺伝という生まれながらの呪いがあって、鬼滅の刃の作者で例えれば、生まれつき心の中に醜い鬼が在るわけですね。

親は子供の中に自分と同じ醜い鬼の血を感じるから、子供を愛せない可能性も…いや多少はあるかも知れないけど元々そういう親は自分の事しか考えてないな。

やっぱり愛されなかったのは子供のせいではほぼないけど、愛されなかった事実もおそらく影響して、元々あった特性がさらにモンスター化した自分の心がひどく醜いもんだから、それが原因だと誤解してしまうんですね。


どうりで、無惨の死に際の赤ん坊姿が、赤ん坊なのにあんなに醜かった訳です。

作者の中で醜い赤ん坊(作者の、醜かったから愛されなかったと思っている醜い赤ちゃんな自分)は醜いのだから殺されて当然な訳ですね。

リアルタイムで連載を読んでいた時、最期の姿が赤ん坊姿で思い出したんですが、マンガ「うしおととら」も、敵の総大将の白面の者が殺されて死ぬ間際、赤ん坊姿だったんですよね。

アレも白面の者という自分の中の醜く悪い妖怪を悪者にして全否定して殺すお話だったんだなーと、今更ながら納得です。


自分が愛されなかったのは自分が醜かったからだと理由を付けて思い込む事で何とか心の均衡を保って、生きて愛される為に己の醜い部分を、どうしても絶対に全て滅さなければという狂気を伴った強い衝動が鬼滅の刃を作らせたんだなーとわかって、なるほどこんなにも強い欲望はなかなかホント見た事ないので、爆発的にヒットするのもよくわかります。


創作は作者の自己セラピーなので癒し効果はあったと思うのですが(禰󠄀豆子≒作者なので、全ての悪い鬼を殺しまくり、鬼から人間に戻ってハッピーエンドではある)自分を否定して自分で自分を殺しまくった作者は、果たして今幸せなんでしょうか?

まあ自己セラピーなので、描く前よりはマシな状態だと思いますが。


とても賢い方ではあるので、いつか、愛されなかったのは親御さんに原因があり、自分の心の醜さはまた別の話だという事に、ハッと気付ければいいなーと思います。

自分で頑張って考えて考えて考えた末に深く気付けなければ、他人が何を言っても無駄なので(実体験)。


鬼滅の刃の鬼は概ね滅さなければいけない悪者でしたが、作者が描いているように鬼になるにも事情があり、私は鬼も結構好きだし(無惨とか童磨とか面白いので)、作者の精神性も醜いとは思うけど、元々の特性が大きいでしょうが、特性を強める一因でもあった愛の欠乏を思えば、そこが愛しく切なく悲しくも面白いので(すみません、同じく醜い私自身の事も同じように思うので許して欲しい)、こんな風に思う人がここにいますよ、鬼を含めて鬼滅の刃を愛している人が沢山いますよ、という事で。


作者がいつか、子供の自分が愛されなかったのはそういう親だったからで、自分の心がひどく醜いのは遺伝の為でまた別の話であり、遺伝の生まれつきを嫌だと思っても心を物理的に削り取れる訳でもないのでどうしようもなく、それでも生きる為には醜い部分まで含めて自分なのだと深く理解して、あるがままを受け入れられる日が来ると良いなーと、心から思ったりなどしたのでした。


私には深い諦めという絶望が気付きの突破口だったので、諦められたら良いのになと思います。

だってもう作者も私も赤ちゃんじゃないので、赤ちゃんの自分を誰かが愛してくれるなんて事は絶対に無いんです。

とても簡単な事実なのに、認めて諦めるのにもの凄く時間と思考が必要でした。

だから、どうしても赤ちゃんの、小さな自分を愛して欲しかった渇望は誰よりもよくわかりますが、それが可能だった時間はもう完全に過去で、絶対に時間は巻き戻ったりしないし、巻き戻ってもやり直しなんて出来ないんです、愛してくれる人がいなかった事は変わらないんですから。


過去は変えられませんが、少しずつでも自分を受け入れて、愛するように頑張って行く事は、これからの事なので、もの凄く難しいけれど、頑張ればできます。

私は愛を知らなかったので、そもそも愛って何なのかを深く考えるところからのスタートでしたが、それももの凄く頑張って考えれば何とか答えに行き着くはずです。


作者は自分の中の鬼を全部殺して善逸と一緒になってハッピーエンド、のつもりでしょうが、本当は鬼は自分の一部なので生きている限り殺せないんですよね。

だから生きる為にはどんなに辛くても諦めて受け入れるしかないんですが、大丈夫かな。

結局、気付く事で自分を本当の意味で幸せに出来るのは、伴侶などの他人ではなく自分だけなんですよ(他人が気付きの助けになる事は大いにありますが)。


頑張って考えてよく考えて気付いて欲しい、いや、連載やめられて沢山時間があるでしょうから、気付いてるかも知れないですしね。

そもそも全部わかって描いてた可能性も0ではないし。

いやーどうかな、滅の字1文字を念じて鬼滅の刀作っちゃうくらいだからなー。

鬼を滅そうとしてる皆んな凄まじい形相だったしなー。

私が1番嫌いだったのはやっぱり両親の血が流れてる自分だったので、仮に全部気付いた途端に耐えきれず猗窩座になりませんようにと願いつつ。