おかげさまで元気にしています。
書き残しておきたいと思うことは日々たくさんあるのだけど、なかなか…ね。忙しさに負けてしまうね。
我が家の娘は足に障害がある。
ゆっくり歩くことはできるけれど、長い距離は歩けないし、走ったりジャンプしたりは難しい。
幼児期はあまり気にしていなかった周囲との差は、学年が進むと共に大きくなり、低学年が終わる頃には「なんで私はこんな病気になったの?」と泣くことが増えた。
ただ、ただ、気持ちを受け止めることしかできない。
癇癪を起こして、足を叩く小さな体を、ただ、ただ抱きしめることしかできない。
母の“ごめんね”は重荷になることを知っているから、ごめんねは心の中で。
あなたが毎日どんなに頑張っているか、歯を食いしばっているか、ママは知っているよ。あなたの足は頑張りやさんの足だよ。大丈夫、この足はきっとあなたをどこにだって連れて行ってくれるよ。あなたがいらないと言っても、ママはこの足が大好きよ。あなたのことが大好きよ。みんなと違くたって、ママはあなたが生まれてきてくれて幸せよ。たとえ巻き戻せたとしても、やっぱりあなたに生まれてきてほしいのよ。… 伝えるのは ただただ “かけがえのない 愛しい存在だ” ということ。
幼さの中にほんのちょっとお姉さんっぽさが混じるようになった春。
本の虫になって 幾度となく雷を落とされた夏。
気づいたら ママと同じ歌を聴くようになった秋。
歌詞の意味を 作者の想いを 2人であれこれ語るようになった冬。
「ねぇ、ママ。
私ね、1日に必ず1回は“こんな病気になりたくなかったなぁ”って思う。
だけどね、もし足が悪くなくて、他の子と同じ普通の子だったらさ、今 出逢ってる人たちとは出逢わなかったよね?
幼稚園のお友達も先生も、習い事の先生も、病院の先生も、リハビリの先生も。入院で仲良くなった子も。私、みんなと逢えてよかったなーって思っててね。
だからね、もし、“生まれ変われるよ”って言われても、私は私のままがいい。
ちょっとくらいは別の自分も気になるけどさ(笑)。気にはなるけど。私がいい。」
あぁ、ちゃんと伝わっているんだ。
どんな自分だって、どんな時だって、大切なものに出逢えているということ。
なんの変哲もなく見える日々は、とてもかけがえのない時間だということ。
たとえ苦しくとも、生きることは素敵なことだということ。
ママに言っていいんだよ。こんな足嫌いって。泣き喚いてもいい。癇癪をおこしたっていい。
何度だってちゃんと聞くからね。
だから そうして泣くだけ泣いたらね、もう一度立ちあがろう。一緒にね。