やっとこさ落ち付いてPCの前に座ってます。
この数日間の我が家の出来事を一気にUPします。
その前に…。
今回の地震での被災地でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りすると同時に
今、この時を被災地で過ごされている方々、
その心労お察しいたします。
微力ながらも離れた地で心からの応援と、
一日も早い復興をお祈りいたします。
藤井 凛
さかのぼる事10日夜。
23時過ぎにパパの携帯への1本の電話がかかってきました。
お姉さんからです。
前々から記事で少し書いてましたが、おばぁちゃん(パパの方)が危篤だという内容でした。
(このときママは別室で熟睡中でした)
パパに起こされ
「今から行くから」と。
すでに意識は混濁しており、間に合わない可能性もありました。
パパからは
「喪服も持ってって」と。
覚悟をしたのでしょう。
すぐに支度をして、ダメ元でママは会社に電話。
運よく役職の方がまた居て事情を話すと
「すぐに行って!」と。
一様12日~14日までは休みを取っていたので、
後の事は後々の連絡でいいといわれました。
寝てる子供達をそのまま車に寝かせて
途中のPAに止まった時に、電話が鳴りました。
11日午前2時。
お義母さんは、
眠るように息を引き取りました。
そのまま、兵庫まで行きお義母さんが眠るホスピスへ。
コタも遼くんも事情は分かっていません。
「ばぁちゃん寝てるの?」
今にも「こっちゃん~!」と起きてきそうな位…。
その後は、ほぼ手続きなどに明け暮れます。
葬儀社を呼んで、ばぁちゃんを運んで、
葬儀社との打ち合わせ。
今回、ばぁちゃんの希望で
「通夜・葬式は家族のみ」と言うことで、
お義姉さん家族、じぃちゃん、家の家族のみで行う事になりました。
この日は友引の関係もありまして、本来だったらこの日に通夜でしたが、
翌日に持ち越しとなりました。
(火葬場がいっぱいで…)
気が付けば、お昼過ぎ。
その後は、お義姉さんと一緒に役所に行き、
一息ついて、会社に電話しようと
(休憩が15時からなので15時30分頃に電話した)
電話をしたら
「この方面の電話は現在地震の為通話ができません」
??!!!
一体何事!?
(葬儀場にはTVがないので)
車のカーナビでワンセグ放送でその時にやっと地震の事を知りました。
もちろん、実家にも携帯も混線でつながりません。
関東も結構な震度だったし、我が家は海の側なので津波の事もありました。
つながったのは、夕方。
家族は全員無事でした。
母は「食器が落ちてきたんだよ」と。
結構ゆれたそうです。
ほっとしたのもつかの間…。
遼くんの首に大きな水泡が…。
これは…もしや?
水疱瘡?
とりあえず、翌日病院に行くことに。
その日寝ずの番にお姉さんとママと二人でやる事になりました。
お姉さんと色々話しをして、
(今時は、10時間点灯してるろうそくと、8時間付いてる線香があるのね!
お陰で仮眠が取れました)
12日朝、遼くんを連れて病院へ。
結果…水疱瘡。
飲み薬と座薬(熱痙攣を起こさないように)塗り薬を貰って、
帰ったときに地元の病院で見てもらえるように、紹介状を書いてもらいました。
12日夜、
家族だけの通夜だったので、遼くんも参列できました。
通夜の時間も早めだったので、
そのまま夕食の買出しへ。
この日はパパとお姉さん、じぃちゃんが寝ずの番でした。
最後の家族だけの夜を過ごしました。
13日、
遼くん体中に水泡が出ました。
コタの倍くらい!!
ばぁちゃんの葬儀、火葬を行い、分骨し、
一通りの事が終わりました。
ママとコタはその後、夕食、翌日の朝ごはんの買出しをして、
パパの実家にみんなでお泊り。
14日、
地元に物資が何もないと聞き、買出しへ。
近くにコストコがあったので、
とりあえず、水とお米、パン、など持って帰れそうなものを調達。
15日、
夕方、帰路につきました。
じぃちゃんは、お姉さんのお家へ行きました。
(一人じゃ危ないので)
途中、養老に寄ったらたくさんの消防車を見ました。
その後、名古屋付近のSAで
「この先ガソリンの給油ができるPAが少なくなっています。
給油はお早めに」と放送ば流れていたので、
一回給油。
浜名湖では、半分の駐車場を利用して自衛隊の待機場所になってました。
そんなこんなで、あとちょっとで降り口…。
と思った矢先、
東名の看板(東京まで10分とか出てるヤツ)が真っ暗に。
「地震発生のためこの先通行止めです」と!!
とりあえず、近くの降り口で降りてその先は下道で。
震源地の側でしたが、家族全員無傷でした。
このとき、本当いっぱいのメール&プチメを頂きました。
かなりの件数でしたので、
㊦記事の「無事です」の記事でのご報告のみとさせてください。
ご心配ありがとうございました。
無事に家に到着。
夜中でした。
16日。
遼くんをいつもの病院に連れて行き、
保育園に書類を届け、
友達宅に物資届け。
一人暮らしの友達は、地震のあった日は仕事で帰るに帰れなくなり、
やっとたどり着いたけど、何も売ってない状態で、
食べるものもない。そんな状態だったそうです。
一人暮らしだと、その日の分だけ。っていう事が多いですもんね。
彼女は身寄りもない、そんな子です。
とりあえず、数日分のパンとカップラーメン、缶詰などを差し入れ。
この日の夜から東京電力の計画停電が実施されました。
我が家で停電で一番困ったのは…。
水道が使えないという事。
ポンプのくみ上げ式なので停電中は水もストップ。
電気は消えてても、どうにか…ですが、トイレとかね。
数時間の事なので、どうにかこうにか対処できましたが…。
17日。
この日からそれなりの生活に戻りました。
久々に近所のスーパーに買い物に行ったら、
商品棚から、
お米とカップめん、乾麺、オムツ、パン、などが無くなっていました。
今まで、物があふれていたのがひしひしと伝わってきました。
ちょっとした事で、「物がない!」「買いだめしなくちゃ!」という事なんでしょう。
と、思いきや惣菜やお弁当などは普通に陳列されてました。
パンも菓子パン系はいっぱいあって、食パン系がない。
なんとも不思議な現象です。
そして、昨日、今日という感じです。
我が家の方では、昨日?今日の夜中に地震がありました。
伊豆沖です。
まだまだ余震も続きそうだし、いろんな場所でおきそうです。
油断は禁物なのかもしれません。
毎日のニュースの中で、福島第一原発。被災地への物資の流通。
被害者の数、被害情報、
何を見ても心が痛みます。
今回の地震で政府は何を学んでくれたでしょう。
一番に思った事は、日本は遅れている。と言うこと。
対処のことではありません。
今の世界で先進国と言われながらも遅れている。
もし、発電を原子力を1番とせずに太陽光だったら。
それを国が促進してたら。
電力は確保できたでしょう。放射能漏れもこんなにならなかったでしょう。
原子力の安全は100%でないことは誰でも知ってます。
今回一番をぃ!と思ったのは
「予測できなかった事態」と言うこと。
日本は地震大国と言われるくらい地震が多い国です。
そして、島国です。
プレートが原因での地震の予測はできていて当然。
ましては、海沿いに作るなら津波の予想もできて当然。
で。
予測不可。
は、ただの言い訳です。
戦闘機が突っ込みました。
これくらいの事があって初めて「予測不可能の事態」と言って欲しい。
太陽光発電についても、各自が太陽光パネルを使うと電力が売れない。
という東京電力の考えでしょう。
確かにそうなるでしょう。社員も家族がいます。
でも、そうしたことも踏まえ、ソーラーパネルの維持管理は東京電力に。
もちろん、太陽がでない時もあります。そういった時は送電する。
電力会社を潰すのではなく、そういった部分もしっかり守れる国。
今、各家庭や公共施設全部にソーラーパネルを設置した場合、
電力不足はほぼ0%になります。
風力発電で補えてしまいます。
火力も、水力もいらないのです。
そうした対応を国が率先してやっていたら、CO2の削減はもちろん、
今回の地震での被害も少なかったでしょうし、復興も早いものになる可能性もあります。
他の国ではすでに国が率先してやっている事です。
せめて、今後は公共機関だけでも太陽光発電を促進していってもらいたいものです。
そういった国の裏の策略が今回何人もの人を恐怖へと陥れたのでは?
と思わずにはいられません。
薬に関してもそうだしな…。
国の対処には、今回は本当に
やっぱりな。という感じでした。
すべてが遅すぎです。
まぁ、国の悪口を言っても仕方ないので…。
とりあえず、
そんなところです。
拡散メールもたくさんきてますし、
情報もいくつかあるので、また明日にでもUPできたら。と思ってます。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆追記*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
そんなこんなで、今までの事を振り返ってパパと話してました。
もしかしたら…
ばぁちゃんが呼んでくれたのかもしれません。
兵庫に行ってたお陰で、地震には直面しませんでしたし、
食料(週末に行く予定だったので冷蔵庫も米もからっぽ・・・買い置きなしだったので)
も確保できました。
この日はコタは遠足だったし、パパもママも仕事でした。
みんなバラバラだったし、ママの職場は海のすぐ側だったし。
(被害はなかったんですけどね)
お義姉さんの旦那さんもその日は関東方面に本来だったら出張でした。
行ってたら帰って来れなかったでしょう。
ばぁちゃんが、最後の想いで呼んでくれた。
守ってくれたんだと。
偶然かもしれないですが、そう思わずにはいられません。