Live, Love, and be Happy☺︎〜卵巣がんとのたたかい〜 -2ページ目

Live, Love, and be Happy☺︎〜卵巣がんとのたたかい〜

28歳の時に卵巣がんが発覚。手術、半年間の抗がん剤治療が終わって、今に至る。卵巣がんステージⅢC。独身・子供なし。落ち込む日もいっぱいあるけど、前向きに生きようと頑張っています!
生きて、愛して、幸せになる◡̈♡

ご存じの方はご存じの通り。
タイトルは魔女の宅急便のキャッチコピー。大好きです。

恐ろしいほど前のブログから時間が空きました。

タイトルの通り、落ち込むことはたくさんあって、でも私は前向きに生きてます。


最高に落ち込んでやるせなくてこのブログからも遠ざかってしまったできごとがありました。


Facebookで繋がっていたちょっとした知り合いだったYちゃん。
病気の後、Facebookのタイムラインにあがってくる出産ラッシュに耐えきれず、しばらくFacebookから遠ざかっていた私。
でも、久しぶりに開いてみたら、Yちゃんがガンで闘病していることを赤裸々に投稿していました。

その時の私は抗がん剤治療が終わり、髪がちょっとずつ生えてきた頃。
Yちゃんをちょっとでも励ますことができたら、と実はね…と個別に連絡をとりました。
そして、すぐに返事が来て会うことに。

すごく久しぶりに会ったYちゃんはとっても痩せていたけど、元気そうでした。
そこにはYちゃんのお母さんもいて、とても心配そうにYちゃんを見守っていて、自分の母親もこんな気持ちだったんだろうなと思いました。
その日は私の手術、治療の経験からウィッグの話まで、私が伝えられることはすべて伝えました。

Yちゃんにはとてもとても強い想い、夢がありました。
それは「どうしても子どもを産みたい」ということ。

私もその想いはとても強かった方だけれど、「自分の命より大事なことってあるの?」と友達に問われて我にかえったところがありました。


「生きよう」


私はその時、そう決めました。何が何でも生きてやると。


今思うのは、あの時なぜ私は同じ言葉をYちゃんにかけてあげられなかったのだろう。

「自分の命より大事なことってあるの?」

そう強く聞いていたら今もまだYちゃんは生きているのではないか...

自分の価値観を押しつけるつもりなんて毛頭ない。ないんだけど、でもやっぱり生きていて欲しかった。

Yちゃんはたくさんの本を読み、いわゆる西洋医学の外科的治療を拒み、子宮摘出手術も直前でやめていた。
だって子どもが欲しいから。


私は自分が手放してしまった夢をYちゃんにかなえて欲しい。
自分のこの苦しみをYちゃんが味あわなくて済むのなら、その方がいい。

そんな甘い考えがYちゃんとのお別れを生んでしまったのではないかと、その後ずーっと後悔をしていました。


Yちゃんに会いに、桜の花を買って行きました。
真っ白で目をつむったYちゃんがそこにはいました。

タクシーを待っていると葬儀場のおじさんたちが話していました。
「あんなに若いのに。今日も何人も見送りに来てたよ。死んじゃいけない人間がなんでこんなに早く亡くなっちゃうのかなぁ。。」


私の中にはなんとも言えないやるせなさ、悔しさ、悲しさ、いろんな感情が渦巻いて、涙が止まりませんでした。


Yちゃんは今も私の中に生きてる。
子どもが産めなくなるという辛い決断をしなきゃいけない女性が今もどこかにいるのかな、と思うと、
「自分の命より大事なことってあるの?私はあなたに生きていて欲しい。」
って迷わずそう伝えたい。