深夜になればなるほど
余計な事を考えすぎる
考えすぎた結果
眠れなくなり
何時間か掛けてようやく眠れても
夢の中でも時間に追われ
尚且つ
押したい電話番号を何度やっても押し間違えてしまう
というヘビーストレスな夢にもがき苦しむ
ただ
目を開けた時の日差しの強さったらなくて
逆に爽快
もうどうにでもなれ的な
そうこうしてるうちに
家を出発する時間になって
また日常に戻るのです
先日 帰郷いたしまして
古いビデオ
を たくさん見返しました
今時ビデオか
とお思いになるかもしれませんが
単発的な巻き戻しや早送りではなく
はじめに戻る為にかかる手間や
映像を流しながら巻き戻したり早送りする時のテープの音のアナログ感が
まるで自分で時間を戻したり早めたりしているという触感を感じさせ
とても甘美で
改めてああ良いな と気づいてしまったのです
勿論古いビデオには古い映画がたくさん録画され
これは確実にもって行かなければと
たくさんある中、一生懸命絞って20本程持って帰りました
また
ビデオ以外にも
クロッキー帳を見つけ
(クロッキー帳でもクロッキーしてないからイラスト帳みたいなもの)
見返していたら
当時の心情が絵に真っ直ぐ現れていて面白い
絵をなぜかくのか?
と 聞かれたら
私にとっては
日記の様なものだから
なのかな
と最近思います
一種の自己愛の様なものでもあると思うけれど
うまく言葉を発せない人は
どうやって自己表現するか
それはやはり音楽とか
絵とか写真しかないんです
少なくとも私にはそう
うまくお喋りできる人は喋る事で自己表現できるのだから それが言語を所有する人間として、一番人間的であると思う
むしろ自己表現なんてしなくてもいいんです
人間的な価値を言語を発する事で得られてるから
自己表現はつまり私にとっては自己の存在確認
人間として筆を持ち
人間的思想のもと絵を書く
人間以外の動物を尊敬しながらも
結局人間で生まれた以上、人間として生きていかなければいけないということにも気づいてしまっています
そこで言語がうまく使えないとなると人間として致命的
なので思想のもと
絵を書くのです
絵を書く
というだけではだめ
猿だって 象だって出来るからね
思想のもと絵をかかなければ
そこではじめて
人間として生きて良いのだと思えるのです
あれ? 話がだいぶ脱線
脱線事故
ああ 眠い おやすみなさい


