5月に行くことにしました。
本当なら仙台ハーフに観戦しに行くという名目で、「チーム東北」の子達と逢ってお酒が飲みたかったんですが。
仙台ハーフが中止になり、6月に結婚式に出産のために出席できなかった妹と弟のお嫁さんなどを呼び、都内でパーティーをする予定だったんですが、それまで待てないということで、旦那さんにも(ちょっとだけ)相談して、決定しました。
やっぱりちゃんとメールではなくて顔が見たい、声が聞きたいということで。
正直、この1ヶ月、あの子達のために何が出来るんだろうと葛藤する毎日でした。
昨年の結婚式で私の大学時代からの親友・仕事関係の親友などとやっと顔合わせできた陸上ブログで逢った親友。
結婚式で逢ったひとみちゃんもきょうこちゃんもにっしーもちさとものみやちゃんも私の両親・お祖母ちゃん、おじちゃんおばちゃん、いとこもみんな心配してました。
岩手の親友の生きてるよというメールを見たときに、初めて旦那さんの前でヒステリーに近い泣き声をあげたこともありました。
だけど震災から1ヵ月後の4月11日、茨城県にいる両親と妹と姪っ子と甥っ子と霞ヶ浦近くの公園で遊んでいた時、初めて震度6強の経験をしました。
ゴゴゴ!!!という地鳴りがしたあの瞬間、思わず「死ぬんじゃないか?」という脳裏がよぎりました。
でもそんな瞬間でも姪っ子と甥っ子が無邪気に遊んでる姿をふと見たら、何かわからないけどびっくりするくらいホッとする自分がいました。
こんな自分でもあの子達に出来ることがあれば、進んで何でもやっていこうと思ったそんな瞬間でもありました。
微力でもあの子達の笑顔が見れれば、何でもいいや。