幼少期からの思考の癖を振り返り、自身の行動原理(正しい定義から外れているかもしれない)について考える。



些細なことで褒められる→承認欲求を得られる→また褒められたいので大人に気に入られる行動を積極的に行い発言する→短期的に承認される方法を会得する→承認に至るまでプロセスが多いものを避けるようになる・失敗を極度に恐れる→自分が一番であると思わなければ怖くなる→他人を見下し安心材料を確保する→他人への恨み・憎しみ・嫉妬が源の行動が発現する

行動の源が自分由来ではないので失敗したときに何かと責任を自分以外の何かに転嫁して心の安寧を得ようとする、そうして保険にしている。ほら、私じゃなくてヤツが決めたからこの失敗はヤツだけの責任だ。私は関係ない。何にも。

結果、ほとんどのことが長続きせず自分本位で選択し行動することはほぼない。継続は魔法なり。努力して輝いている人を見ると「こんなはずじゃ、私だって機会があればヤツと同じかそれ以上になっていたはず」と考えてしまう。プライドだけはいっちょまえに高い。

 

 

わかってるけどアラサーの今でもこの行動原理が染み付いているからなかなか変えられないんだ。変えたいとか言いながら結局それが楽だから変える努力すらしていないだけかもしれないね。

 

 

学生時代はこんな具合な自問自答というか鬱スイッチをわざと入れて考え事をしていたな。最近は近くに安定した心の持ち主がいるのでスイッチ入らないというか入れられないというか。良いんだけどそれはそれで息継ぎができなくてしんどいかもしれない。

 

たまにこうして沈むと自省して深呼吸できるのだ。こんなときに聴くミスチルは沁みるねえ。