こんにちは、リキュウコートです。 #67

 

今日は個人のブログです。

 

父が亡くなって早2か月以上経ちました。

 

以前のブログでも書きましたが、父の唯一の趣味が庭木の手入れでした。

 

足が不自由になって庭の手入れが出来なくなり、恥ずかしながら2年間放置していましたが、知人に指摘され初めて庭の木々が荒れている事とその事が恥ずかしい事に気付きました。

 

本業の車の美装にはこだわりますが、興味がない事には全く関心が無い偏った人間だと思います。

 

それから4年間は、嫌々で仕方なく何も庭木の手入れも解らないままに、一年に一度だけ手入れをするようになりました。

 

ほとんどが機械を使ったトリミングで見様見まねで知識もなく適当にこなし早く終わらせる事を第一にこなしていました。

 

松の木の剪定前の写真

※ 松の木の剪定前の写真

 

しかし庭木の松の木が7本あるのですが、松の木だけは手先による剪定でしか行えない為に、松の剪定だけで1ヶ月近く掛りました。

 

本業のコーティング剤の開発や、車の磨きは何処よりも簡単に早くを武器にしているのですが、松の剪定だけは真逆で手間暇を掛けないと、適当では翌年に自分に跳ね返ってくるのです。

 

しかも、松の手入れも難しく父からも、あまり教えて貰えないで訳が分からないまま行っていたので苦痛でしかありませんでした。

 

これまでは、とにかく自分の役割とかではなく「やってあげている」と言う感覚で苦痛で仕方なく2か月近くを庭の手入れに費やしていました。

 

しかし今回は父が亡くなり、四十九日の納骨の法要までに、父の作品だった庭を綺麗にして家から送り出したかったので、これまでで一番キレと思える様に、丁寧に手入れを行いました。

 

結局、法要までには全ては終わりませんでしたが、松の木以外は間に合ったので、小奇麗な状態で送り出す事が出来ました。

 

それから1ヶ月近く掛り今日ようやく松の剪定が終わりました。

 

拘りを持って庭造りを行っている方が見て褒めて貰えるような出来映えではないですが、今回は動画も何回も見て予習をして挑んだので、これまでで一番納得できる仕上がりになりました。

 

父との関係はお互い頑固で似たもの同士だったので会話もあまり無かったのですが、剪定が終わると、一つだけその年の剪定で良かった点と、一つだけ注文を付けるのが恒例でした。

 

不満も一杯あったと思いますが、努力を労って良い所と悪い所を一ヵ所だけしか言いませんでした。

 

これが父の精一杯の労いだったのだと今は思えます。

 

今年はこれまでに少ないですが教わった事や注意点を思い出して、根気よく最後まで手を抜く事無く完了しました。

 

松の木の剪定後の写真

※ 松の木の剪定後の写真

 

父が亡くなって慌ただしく行事や庭の手入れに仕事に追われ、休む事無く忙しかったのですが、今日一応の目途が立ち安堵しましたが、急に父が亡くなった事を改めて実感しました。

 

これまでで一番だと誇れる庭の手入れが完了したけど、父からの評価が一言も貰えない事に、虚しさと寂しさが込み上げてきました。

 

これまでは、面倒でしかなかった庭の手入れを意地で行っていましたが、その評価をして貰えない事がこんなに虚しい事だとは思いませんでした。

 

そして何故こんな興味もない庭の手入れをしなきゃいけないのか?と毎年不満に思っていましたが、今日改めて完了し庭を見回してみると、決して他人に自慢できる庭ではありませんが、自分なりに綺麗だと初めて気づかされました。

 

長年に渡り庭造りを行って、家と庭のバランスを取っていた「庭}という作品を、引き継いで貰いたかったのだと理解出来ました。

 

自分ではゼロから庭造りなど出来ないけど、引き継ぐ事でそれなりの家の構えになる事に改めて気付き感謝する事が出来ました。

 

父が生きている時に、この事に気付けなかった事が情けなく、一言の感謝の言葉も伝えられなかった事が後悔でしかありません。

 

自分で学ぶ事で改めて意見が聞きたい事が増えて来ましたし、共通の話題も出来たという矢先だったので本当に残念です。

 

亡くなっては親孝行も出来ませんが、これからは自分の為に庭を手入れするのだと誓い、出来るだけ父の造った庭を維持して行こうと思います。

 

ただ、今年の仕上がりを見て貰いたかったし、一言でもいいので感想が聞きたかったです。

 

最後までお付き合い頂き有難うございました。