千利休も忠実なる愚弟、細川忠興 | 千利休ファン倶楽部

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千利休の哲学や思想、
考案した茶の点前に関する
様々な事柄を記事にしていきます。

茶聖、と言うよりもむしろ、
人間、千利休に焦点をあてていきます

利休の弟子の中で最も有名な一人が、
細川忠興でしょう。

何が有名かって、
やはり、東京都知事戦に出馬した
細川護煕元首相のご先祖だと言う部分。

細川家は熊本に居城をおき、
未だに大資産家であったりもします。



まあそんな話はさておき、
利休にとって細川忠興が
どのような人物だったのでしょうか。

まず性格面ですが、非常に気性の荒い
短気な性格だったとされています。

戦上手でもあり、その短気に
拍車が掛かったのではないでしょうか。

その分かなり冷静な部分があったことも
よく知られています。



さて、そんな人物が茶の湯をやるとなると
どのような点前作法をすることでしょう。

冷静さを兼ね備えた気性が荒い人と言うのは、
得てして惚れ込んだ教えには、
徹底的に忠実になりがちです。

だから利休が教えた点前にも
極めて忠実にいようとしたのでは無いでしょうか。

だからこそ、利休七哲の一人にも
数えらたのでしょう。



しかしながら利休と言う人物は
本当に一筋縄ではいかない傑物であるため
「自分を極め、それを表現しなさい」
と弟子達に説いていました。

詳しくは後日あらためますが、
古田織部はその中でも最も出来がよい、
つまり独自性を見出した弟子に育っています。

そんな織部に利休は、
「人と違う事をしなさい」
と教えていました。

それは織部だけでなく、
細川忠興にしても同じ事だったと言えます。

忠興にも何度となく人と違う事をするよう
教え続けた利休ではありましたが、
はたして忠興は利休に忠実でありつづけた。

つまり、独自性ある点前作法を生み出す事が
最後まで出来なかったのでしょう。

要は利休にとって忠興は、
最も忠実で出来の悪い弟子だったのだと言う事が
容易に予測出来ます。

ただ、出来の悪い子ほど可愛いもので、
しかも志溢れる人物だったのも
間違い無いでしょうから、
そう言う意味で利休は忠興のことを
とても可愛がっていたのだと思います。



それを象徴するものが
利休百首の一首に歌われています。


こころざし 深き人には いくたびも
あはれみ(憐れみ)ぶかく 奥ぞ教ふる


これは忠興を象徴した歌では無いのかな、
と私なりに解釈しています。

と言うのも、忠興が出来の悪い弟子だったとして
利休に気に入られていなかったり、
大切にされていなければ
利休が堺に流されるとき、
わざわざ危険を冒して見送りになど
行くはずが無いのです。

そして忠興は、それほどまでに
利休に惚れ込んでいたのだと考えられます。



忠興が利休にとって
出来の悪い弟子だったとするヒントが
実は、利休が忠興に遺した遺品に
隠されています。

それは、茶杓。

銘「ゆがみ」



写真を見て頂ければお解りの通り
中心部分がしっかりと、右に歪んでいます。

もしあなたが命運尽きる直前として
自分の弟子や教え子に
何を残してやろうと思うでしょう。

教える立場の者であれば、
大概が何らかの教えを残してやりたいと
思う筈です。

つまり、利休は切腹を覚悟したとき、
最も大切な弟子達に何が残せるのかを考え
自らの教えをそこに託したのでしょう。

その「何」とは、茶杓だったのです。

忠興には、見事に歪んだ茶杓を残しました。



この茶杓に込められた
利休の教えを読み解きましょう。

と言ったところで、
長くなりそうなので続きは次回。