10数年前のこと。
ピアノが辛くなってしまって、やめてしまったことがあった。
あのときは、悶々というよりは絶望して、やめた。
もう無理だった。
身体も心も、無理だった。
私は、小さい頃からずっと褒められることの多い人生を送ってきていた。
だけど、あのときのピアノの師匠にはなかなか褒めてもらえなかった。
自分で考えなさいと言われて、
必死に考えて弾いてみる。
次のレッスンで、こうだろうと少なからず自信を持って弾いていくと、
「やっぱり分かってない」と言われる。
凹みながらもまた考えて次のレッスンに行く。
そして、また「それも違う」と言われる。
そんなことの繰り返し。
ずっと、考えることを積み重ねるようなレッスンだった。
ある時から、事情で違う師匠に教わるようになった。
方針のまったく違う教え方。
「とにかく、真似をしなさい」
真似なら得意。
真似をしたら、数年の間どんなに頑張っても得られなかった結果を
1年とたたずに得ることができた。
そうして、私の心はポキンと折れた。
私があんなに頑張って考えぬいて、それでも得られなかった結果が、
こんなにアッサリと手に入ってしまった。。。
ボロボロの心になりながら考えて考えて、
これを続けていればいつかは実を結ぶだろうと頑張ってきた時間が、
すべてムダに思えた。
今になってみれば、
どちらの師匠も方針の違いこそあれ、私の可能性を最大限に引き出すためのレッスンをしてくださっていたとわかる。
だけど、あのときの私は自分の気持ちを扱いきれなくて、
音楽を手放すしかないと思ってしまっただけ。
こういうとこ、極端なのよね(笑)
◇ ◇ ◇
なんでこんな話を書こうと思ったか。
それはね、
あれをやってみても「違う」、これをやってみても「それも違う」、
自分が良かれと思ってやっていることをすべて「違う」と言われて、
どうしたらいいのか分からない。。。
という、アナタに向けて書きたくなったから。
どうしたらいいのか分からなくなったのはね、
あなたが出してみた答えを、他の人の言葉によって◯×で判断したからだよ。
私が辛かったとき、
先生が目指したものと私が出してみたものは異なっていたかもしれないけれど、
「違う」と言われたものは×ではないの。
「違う」と言われたものこそ、ずっと先になって私の経験値になっていたんだと分かるから、
×ではなかった、と自信を持って言える。
たとえ、「それは違う」と言われ続けたとしても、
自分でやってみようと思ったことを堂々と出してみて。
「それは違う」は必ずあなたの経験値になる。
心屋認定カウンセラー
A&Hコミュニケーター
心をひらくピアニスト あやちゃん

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