年長の誕生日は将来何になりたいか?との質問がありました。
私は周りの女の子が憧れるようなお花屋さんやケーキ屋さんも好きではなかったです。

肌が弱かったので、原っぱや草の中で遊ぶと蕁麻疹がひどく、草花を取ることは許されなかったし、おやつの時間が全くなかったから、おやつにも興味がなかった。
チャレンジする経験はほとんどなく、選ぶという経験もなかったからだろうなと思いますが、答えがなくて「なりたいものがない」と伝えたのに先生に無理やり「お花屋さんね!」と決められてすごくショックでした。
これは忘れられなかったです。


年長ともなるとランドセルをはじめ、いろいろ用意しなければなりません。

ランドセルは今ほど多種多様ではなかったですが、赤かピンクは選べる時代でした。
ランドセルはピンクが良いと訴えても却下され、お道具箱も傘もキャラクターものでしたが、好んだ記憶のないものばかり。
全てのものに私の意思など存在しなかったです。
私には姉と弟が病気でした。
5歳の姉は発覚が遅れ長期入院。
私は3歳。弟は生まれたばかりの赤ちゃんでした。

姉と弟の病気はアナフィラキシーがあるわけではないが、特定の数値の高い食べ物は体に溜まると毒になるので避けなければならず、家での食事は食べられるものがかなり限られていました。チョコレートや魚介類いろんなものを避けていました。パッケージの裏に書いてある小さな文字をよく読んで買い物する生活でした。

美味しそうなオヤツを見つけても「だめ!」でした。薬の時間が食間だったのもあり、どれだけお腹がすいても姉弟の手前食べてはならず我慢を強いられてきました。

1人だけOKとはなりませんから、我慢するのが当たり前だったので他所の子がおやつ食べていても羨ましいけど、不満はありませんでした。
子供にとって親はある程度希望を聞きつつ、妥協点を探していくことで子供自身自己肯定感が得られます。
「これがたべたい」
「あれであそびたい」
「これはしたくない」
など子供の要求はきりがない。
全てノーで答えたら、子供は親にさえ認められないので自信もなくなります。
確かに親としては受け入れられない場合もあります。でも妥協点を探さなかったら?否定され続けた子供の自信はどこでつくのでしょうか。

三人兄弟でドタバタ騒がしいこともあります。誰かを満たせば誰かが満たされない環境でもあります。

これがうちにとって必要なことだったかもしれないけど、小さな心に染みはついたと思う。
約30年前空気読めない男と怒るとヒステリックな女の間に病気持ちの長女・変な子だった次女・病気持ちの長男が生まれました。

その次女が私です。

私は学生時代から空気が読めないトラブルが毎年ありました。そしてクラスメイトとも口喧嘩はあるものの基本的に注意散漫で生傷は絶えず、常にかさぶたや青アザがどこかにありました。
忘れ物もケアレスミスも多く、うっかりしてるお調子者としてイジメもなくギリギリ生きて来れました。

そんな私の半生を少しずつ書いていきたいと思います。そしてこの経験が少しでも誰かの役に立てる事を願っています。