自己責任という言葉がここ10年くらいよく聞かれるようになった。
正確にはバブル崩壊の時から徐々に言われてきたようであるが、格差が言われるようになったと同時に広まったように思える。
自己責任は自由を標榜する、自由主義においては、必ずついてまわるものである。
自由であるから、行動するのは自己責任であるというのは本当にそうなのか。
むしろ、自由であるが故に、ちょっとした隙が存在し、全く違う世界がそこを起点として存在しているのではないだろうか。
社会は複雑なシステムで成り立っていると、社会環境がその人の人生を左右することはいくらでもあり得るのである。
しかし、自己責任はこれをかき消し、あたかも自分で選択したのだから、責任を負うべきという正しそうな理論を振りかざす。
情報があふれる社会で、本質的なものを見つけるのは大変難しいことであると思う。
だからこそ、個人の中に内在するものに原因を求めるのではなく、自分と社会通念の外側に答えを求めることが大切なのではないか。
そして、その外側にある自分の視点が、先を照らす光になり得るのではないか。
そう思ってやまない。
正確にはバブル崩壊の時から徐々に言われてきたようであるが、格差が言われるようになったと同時に広まったように思える。
自己責任は自由を標榜する、自由主義においては、必ずついてまわるものである。
自由であるから、行動するのは自己責任であるというのは本当にそうなのか。
むしろ、自由であるが故に、ちょっとした隙が存在し、全く違う世界がそこを起点として存在しているのではないだろうか。
社会は複雑なシステムで成り立っていると、社会環境がその人の人生を左右することはいくらでもあり得るのである。
しかし、自己責任はこれをかき消し、あたかも自分で選択したのだから、責任を負うべきという正しそうな理論を振りかざす。
情報があふれる社会で、本質的なものを見つけるのは大変難しいことであると思う。
だからこそ、個人の中に内在するものに原因を求めるのではなく、自分と社会通念の外側に答えを求めることが大切なのではないか。
そして、その外側にある自分の視点が、先を照らす光になり得るのではないか。
そう思ってやまない。