というわけで、チマチマと調べるのが好きな僕だが、早速、書籍を買ってきた。
こころの暴力 夫婦という密室で
~支配されないための11章~

イザベル ナザル・アガ、紀伊国屋書店、2001年

本当はモラルハラスメントという言葉を生み出したイルゴイエンヌさんの本が欲しかったんだけど、とりあえずこれしかなかったので買ってきた。基本的に、アガさんはモラルハラスメントという言葉の同意語として「マニピュレーション」という言葉を使っている。言うまでもないけれど操作する、の意なんで、「ヒトの心を『操作』する人間」について書いている。ちなみにアガさんはフランスのカウンセラーだ。


アガさんはマニピュレーター(要するにモラハラをするヒト)の基本定義を以下のようにあげている。

1・該当者の社会的な地位だけでは判断できない
2・男性にも女性にも存在する
3・仕事、社交、夫婦など活動領域を選ばない
4・常に心理的にヒトを支配する人格
5・実勢値3パーセントぐらいか⇦フランスのことであり、信頼できない

・・・とまあ、定義すらできていないというのが特徴と思っていいと思う。しかし、まさにその通りだと思う。人間は複雑怪奇な心理パターンを実行するため、この人はこういうヒトだ、というのはなかなか理解しにくい。

最近驚いたことだが、ある知り合いが、仕事上、比較的長期間、某政党の担当として働いていた。すると、あらゆる意味で影響を受けちゃったこともあると思うが、「いやー森さんって、話すとすごーくいいヒトっす!麻生さんもホント良いヒトっす!」となっていた。おいおい、そりゃさ、フツーのおっさんとして飲み話聞くだけなら楽しい相手かもしれないよ。しかし、森氏が首相の時にいかにトンデモナイ密室政治をして、不肖の息子でトドメを刺されたかとはいえ、未だに大手マスコミのトップと仲良くしながらしょうもない影響力を発して、自分の気にいらない連中を事実上排除させる、ということを続けているヤツだ。どれだけ気のいいおっさんでも旧来の利権主義の残存勢力であり「いいヒト」なワケがない。しかし、そこそこカシコイ人間でもこうやって「取り込まれて」しまう。人間関係など、そんなもんだろう。

話がそれた。ともあれ、モラルハラスメントや、マニピュレートなど、さまざまな表現あれど、他者を実行支配しようとする邪悪な思いを抱く人間とその行動についての「総称」といっていいだろう。それだけに定義は極めて難しい。

また、他者を支配する気持ちがゼロの人間ともまた、存在しない。愛するというのは、程度の差があれど、所有したい思いの現れでもある。モラハラ、マニピュレーターの行動や思考パターンをみても、自分に当てはまったところがない、というヒトがいるとしたら、それこそそのヒトが、モラハラ加害者の可能性がある。

モラハラ、マニピュレーションの加害者の特徴として、理論武装する、というのもあるそうだ。このように、相手がモラハラ夫だ、モラハラ妻だ、という前に、自分たちがひょっとしたら相手からそう思われている可能性は、ゼロではない、という袋小路のような思いに行き詰まる。

それは、同書の中でも書かれていた「マニピュレーターたちの行動一覧。思い当たるヒトは注意」という(よくある)リストが書かれていた。ダメ夫をなじるだけのネットでのモラハラの定義よりかは、多少信頼できる表現だったので、思い切ってすべて抜粋してみたいと思う。

が、ちと疲れたのでまた明日にします。なにせ、いろいろあった、今日も。
この微妙な情勢のなか、ポカをしてしまった。





仕事後、帰宅したら案の定、食事が無かった(これぐらいではもはや腹も立たない)


ので、子どもたちと遊んでから、夕食のため、一人外出することにした。その際、どこかに鍵束を置き忘れて来たようだ。いや、食事どころには確認済みなので、おそらくは道ばたと思われる。





ガックリだ。


警察署にも届いていないとのことだ。もっとも嫌なのは、妻に貸しを作ってしまうことだ。開ける際にね。


確か彼女も一本どこかにやってしまったので、合鍵はもう、ない。作らなければならないハメになった。





というわけでまたまたメールの公開だ(笑)。


丁寧に事実を書いた。





「警察署に届けましたが、鍵を紛失しました。22時ごろ帰宅しますので、申し訳ないのですが、開けて下さい」。





さてこの返信は・・





「ひどい頭痛でクスリを飲んで吐いてやっと寝れると思っていたのに。かなり迷惑です」





であった。もちろん、(たまたま?)体調が悪い時に、鍵を開けさせられる労苦は迷惑そのものだろうと思うし、


申し訳ないと思う。が、普通の人の場合、パートナーや子どもが鍵を無くしたところで、彼や彼女の責任をそれ以上責めても仕方がなく、起こってしまったことはどうしようもない、と認識するように思う。「次回は気をつけろよ」と戒めつつも、探しまわっただろう行為と、モノを失ったショックに、「大変だったね」と声をかけると思う。





妻の場合、これはあり得ない。思い返しても、こちら側の凡ミスにきわめて厳しい。子どもと食事をしていて、子どもが牛乳等をこぼしたりすると「お前は何をしているんだ」「もっとちゃんと見とけや」になってしまう。「だいじょうぶ?」という言葉は出ない。





彼女にとって、僕は、批判の対象であり、感謝の対象ではない。


ミスを発見すると、必ず叱責する。「大丈夫か?」の代わりに「なにをしているんだ、お前は」になる。虎視眈々とミスを狙っているといってもいい。





あまりに不思議だったので、彼女が子どもがケアしている際に、バシャっと牛乳をこぼした現場にて


「『なにやってんねん、お前」』・・って今言われたらどんな気分がする?」と尋ねてみた。


「・・・・別に・・・小さい男だなあ・・・」とこれまたいつものダメ出しモードになる妻であった。


一年前のこと。通帳、はんこなどすべてを無くした、と騒ぎまくったことがあった。病的に慎重な妻のため、僕は「それはあなたに限ってはあり得ない。隠し場所にこだわるあまり、どこかに置き忘れたのだろう」と伝えた。・・が、結局見つからず、警察に届け、すべての通帳を作り直し、はんこを登録し、多大な迷惑をこうむったが、やはり「ごめん」の一言も「ありがとう」の感謝の一言もなかった。





そして、引っ越しの時に、すべての通帳は見つかった。





というわけで、妻は、強大な意志のチカラで何がなんでも「こちらに共感しない」。


大変なのは自分だけだと思っている。今回の場合は「自分の体調が悪いのに、迷惑をかける夫はクソだ」としか思っていない。





もう一つ、特徴があった。


「思い切り大げさに自分の病気を恐れる」だ。





病気は怖い。今日あったある人も、まったくの自覚症状ナシに悪性リンパ腫を患い、一年間の休職を余儀なくされた30代だ。彼のように、自覚しないで一歩ずつ死に前進することは恐ろしい。しかし、キチンとした医学的根拠無しに、死を思い悩み、悲劇のヒロインになるのが妻だ。そして、それを心配しない、夫は、彼女からはゴミ以下になってしまう。そして、いざ、ヒドイ風邪を夫がひいてきたら、それは「害悪」でしかない。心配する、看病する、というチョイスは彼女にはない。「なぜ、自分と子どもにうつるようなことをしてくるのか、迷惑なやつだ」になってしまう。





どこまでも、この調子だ。メールに戻ろう。彼女の伝えたいことは





「こうして頭痛に悩み、吐くほどに体調が悪くなった責任の一旦は、お前から受けたストレスだ。貴様が悪い。その上に、カギを無くしてきて、どこまで迷惑をかけたら気が済むのか」てなところだろう。これは僕の被害妄想かしら。もっとも、たとえ「被害妄想」であっても、それを糧にして、相手にキレることは僕にはあり得ないのだが。





幸福があれば共に笑い、不幸があれば共に乗り越え、共感しお互い助け合う。ケンカしてもそういうことが当たり前の夫婦になれなかったことが、ただただ残念だ。





そして一番の問題は、僕のもともとの性格は、非常に好戦的で、こうした不条理な現状というのに耐えられるタイプではない、ということだ。今はまだその原初の自分を封印しているが、妻のような人間のために、一生を棒にふる気は、どうもしないだろうな、という直感がある。