オールナイトニッポンの初代ディスクジョッキー糸居五郎氏(1984没)の命日に、
その活動や業績を称えて、12月28日に記念日をディスクジョッキーの日と制定しています。
DJと聞いてどんなDJを想像しますか?
オールナイトニッポンのようなラジオで一人語りをする人もDJと言います。
そのほか、フェスやクラブでプレイするDJもいれば、アーティストのバックDJ、
スクラッチなど技術を競うバトルDJなどもあります。
最近ではアニソンやJ-POPイベント専門のDJも登場しています。
こうして今や多様化しているDJの由来はを探ってみましょう。
DJの語源になっているのは、やはりラジオのディスクジョッキー「DJ」が始まり。
ラジオで音楽をかける人のことを指していました。
1969年には2台のターンテーブルを使って、曲と曲を途切れさせずにつなげるミックスを
ニューヨークのフランシス・グラッソというDJが成功させます。
このフランシスが現在用いられる「DJ」の元祖と言えます。
DJはヒップホップの4大要素にも含まれます。
ヒップホップ文化のなかでMC、ブレイクダンス、グラフィティーと並びDJも重要な要素。
ヒップホップ音楽が誕生した1970年代。
70年代当時のニューヨークはストリートギャングやドラックが横行し、
黒人や貧困地区に住む人々への差別があった時代でした。
そんな環境の中、ニューヨークのサウスブロンクスで生まれたヒップホップ文化は、
ヒップホップの創始者クールハークがマンションや空き地でターンテーブルを外に持ち出し
音楽をかけてパーティーを行い、多くのブレイクダンサーや音楽好きの若者が集まったことが
きっかけだったそうです。
ヒップホップという文化が生まれたことで、行き場のなかった
若者たちの怒りは、犯罪やドラッグより、音楽やアートにも注がれることになり、
DJもそれに合わせてサウスブロンクスから世界へと広まっていきました。
「元ある曲を使って新たな音楽を生み出す」という感覚、DJが生み出す独創的な音楽は人々に強烈なインパクトを与え、ヒップホップシーンの発展へと繋がっていきます。
今では当たり前であるDJがレコードを前後にこすって音を出す”スクラッチ”と呼ばれる技法は
1980年代初期に誕生し、当時は画期的であり多くの若者に衝撃を与えました。
DJの技術の発展とともに、若いDJ達は研究を重ね新しい表現方法を獲得していきます。
スクラッチ以外にもジャグリングやボディートリックと呼ばれる技が生まれ、
ターンテーブルを楽器のように扱いパフォーマンスをするDJたちを
「ターンテーブリスト」と呼ぶようにもなりました。
ラジオDJと同じく今や世界スタンダードの文化となったDJ。
90年代以降、一気にその多様性の広がりを見せ、スキルを競うターンテーブリストや、
パーティーでのパフォーマンスを行うクラブDJなど、まだまだ進化を遂げていっています。
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正直、ヒップホップなどのいわゆる黒人音楽と言われるものにはうといですが、
ブルーノマーズ、アリアナグランデぐらいならギリ大丈夫ですw
そういえば知り合いに黒人音楽好きな人がいますが、70、80年代がサイコーと言ってますね。
その頃はレコードの時代で、そこからCDになり、、、そこまではパッケージも含めて
大切にしていた時代だったのですよね。
今やサブスクやDLが当たり前で、音楽はどんどん消費されていく感じがします。
レコードの時代に生まれた一曲と、今、デジタルで生み出されている一曲。
その価値はちがうものとなってしまったのでしょうか。。。
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