料理の世界には「凡味(ぼんみ)」という言葉があるそうです。僕ははじめ、凡庸な味というマイナスの意味かと勘違いしたのですが、食材本来の味を引き出し、余計な工夫や調理をしない料理に対しての賛辞なのだそうです。
僕にとって凡味という言葉は、自分の声と向き合う上で大変重要なキーワードのような気がします。料理のことはよくわかりませんが、食材本来の味を知ることは、即ち自分はどんな楽器なのかを知ることであり、食材に合った調理方法を知ることは、即ち自分にあった方法やレパートリーを知ることと言えるのではないでしょうか。
ここ数年来、バスのレパートリーに照準を定めて、コレペティトゥーアの先生とともにオペラのスパルティートを主に勉強してきました。と言っても、比較的頻繁に上演されるイタリア語の演目に限ったレパートリーなのでまだまだやることは山積みなのですが、自分の魅力をある程度自然に発揮できる役を整理することができたように思います。オペラの作品や実際に役を演じることから会得できたことは殊の外多かったですし、大袈裟かもしれませんが人生さえも豊かになったように思います。
ただここ最近、諸先輩方や信頼する知人、お客様から厳しくもありがたい指摘を受けたことがきっかけとなり、僕はこの凡味という言葉に少々あぐらをかいていたのだと気付かされました。自分の身分相応を知り、余計な欲を取り去ることは演奏する上でのスタート地点だと言えるし、とても大切なことだと思うのですが、かと言って演奏に等身大の自分が表れ続けたのでは演奏家としてはつまらなく、お客様を本当に大きな感動に導くことはできないということを教えて頂きました。
自分で言うのもなんなのですが、僕はずいぶん内向的なほうだと思いますし、石橋を叩き過ぎて壊すタイプです。自分のことに関してはマイナスをよく見つめます。僕をよく知るある方に言わせると、考え過ぎたり周りを見過ぎたりで少々面倒臭い人間らしいです。まあそれはそれでキャラクターだと思うので、日常生活に支障がないかぎり(ないこともないですけど)普段はある程度放っておいているのですが、ここ最近の歌唱や歌声にいわゆる普段と一緒なカンジが出過ぎてしまって、お客様につまらない思いをさせてしまっていたのです。これでは演奏家としていけませんね…。
やっぱり自分自身はまだまだだと痛感しています(分かっちゃいましたけど)。遅まきながら、自分で作ってしまった限界を破りたいと感じるに至り、応援してくださる周囲の方々をよい意味で裏切っていきたいと思うわけです。
また七面倒臭いことを…と言われそうなブログを、35歳最初の演奏会を終えた安堵の中したためてみました。
おわり
(備忘録)
3月23日14:30開演
町田真理子&上條力秀ジョイントコンサート(上尾もっきん洞)
以下は上條のプログラム
1部
禁じられた音楽
帰れソレントへ
落葉松
オーソーレミオ
2部
踊り~ナポリのタランテラ
ネル
セビリアの理髪師よりバジリオのアリア
アンコール
誰か故郷を想わざる
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