長らく何もブログを書いていなくて
読んでいただいた方には本当に申し訳ありません
本を出版させていただいていてからもう5年が経ちました
2年前から全くUPしていないのにいまだに毎日私のブログを読んでいただいている方がいることに本当に感謝しかありません
私自身、研究者の道を離れ理系女子アドバイザーと名乗っておきながら今現在のリケジョにお会いする機会も減りなにかを発信することに躊躇してしまいブログから遠ざかっていました
また、気持ちの整理がつかなくてなかなか書けなかったという理由もあります
でも最近になって自分の中ですっきりしたので今更ですが「あとがき」としてリケジョだった私のその後を書きたいなと思いました
本のレビューや感想をお寄せいただいた中で
「著者が結婚退職して専業主婦になっているので職歴構築の参考にならない」
というコメントをいただき、それに答えられないことをすごく申し訳ないなと思ってました
当然の疑問だと私自身も思っています
当時、私が正社員として研究者なり、何かの仕事に就かなかった理由を本に書けなかったのは理由があります
私は不妊治療の真っただ中にいたからです
仕事を辞めたのも、
元々
妊娠したいなら治療が必要
と
婦人科のお医者さんに言われていた身であったので夫の転勤により片道4時間はかかる距離で週末婚していては絶対授からないと思ったからでした
仕事は年齢を重ねてもまたいつか再開出来るかもしれないけれど
不妊治療は年齢を重ねれば重ねるほど確率は下がる
仕事のキャリアのために子供のことを後回しにして後悔したくない
そういう気持ちでした
私の友人には子供を持たないという選択をしている人もいますし、子供を何人も産んで産休・育休を経て復職している人ももちろんいます
けれど
私たち夫婦は子供のいる家族を望んでいたし
結果はどうあれ
不妊治療するという選択をしたのです
1年半ほどの短い治療期間で子供を授かることが出来たのは本当に人生で一番の幸運だったと今でも思っています
東日本大震災直後
たくさんの方が亡くなって
まだ捜索が行われている中
治療の予定があり
そんな中
不妊治療に行く自分は果たして正しいのだろうかと何度も考え葛藤しました
けれど
日本が混乱していた中
息子を授かりました
本の原稿は元々会社員時代に考えていた内容を退職後に一気に書いたものですが、出版された時には子供を授かりもう2歳になっていましたので内容を修正してあとがきなどを加筆しておりますが、
当時はまだ
書けませんでした
出産後もなるべく若いうちにとすぐに治療を再開し数年通い何度か妊娠しましたがいずれも早期に流産し出産には至りませんでした
秋田でも大阪でも何度も病院に通いましたが、願いは叶わず
息子は現在小学2年生
私自身、息子を産んだ後も働きたい
リケジョとしてまだまだ何かできるという思いが強かったのですが
注射に何日も通ったり
採卵の日が急に決まったり
ホルモンバランスが崩れて体調が悪かったりで責任ある仕事に就くことは無理な状況でした
自分で書いた内容に色々なご意見をいただくのは当然で、むしろとてもありがたいなと思っています
だからこそ
「リケジョの将来は明るい!」と書いたのに
筆者自身が専業主婦じゃ説得力がない!
というご意見にはいつかちゃんと答えたいと思っていて
ずっと心に引っかかっていました
今は不妊治療にも区切りをつけ
一人の私としてまた歩きだしたのであとがきとして書き記しておきたいと思います
リケジョのその後として面白い報告ができるように頑張ります
長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございます
追記
もしかしたら、
拙著 「娘にリケジョになりたいと言われたら」が海外で翻訳出版されるかもしれません
国を超えてどなたかのお役に立てれば幸いです
2019年6月5日 秋田直美