AS A ??? ver.Ameba Blog

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あちこちにブログを作り散らかしてとうとうアメブロ進出。一応PCライターです。最近はAndroid、ソーシャルサービスに興味があります。

Amebaでブログを始めよう!
もう4日になってしまいましたが、あけましておめでとうございます!
昨年は最初だけ嬉々としてブログを書いてましたが、しだいに遠のいてしまい…反省。

今年はちょっとしたことも書いていこうと思っています。
よろしくお願いします。

3が日は、実家の母を自宅に迎えてのんびりと過ごしました。
元旦に初詣に行ったら人の多さにびっくり!
いつもは3日くらいに行くので知りませんでした…。
天気がよかったのが何よりです。

また、2日には子どもの時以来の皇居一般参賀へ行ってきました。
天皇皇后両陛下、皇太子同妃殿下、秋篠宮同妃殿下、眞子内親王殿下によるご挨拶と天皇陛下からのお言葉を聞き入ってきました。
昨年はいろいろなことが立て続けに起こり暗澹たる気持ちになりましたが、今年は終始笑っていられるような年になるといいなと思います。
私がパソコン通信を始めたのは今から15年以上前、ちょうどWindows95が発売される直前のことです。
会社の事務機器はMacで、1つだけWindows3.1マシンがあり、そこで会社からNifty-serveのIDをいただいて情報収集に使っていました。

会社を退職後、わずかな退職金をはたいて40万円近くかけてWindows95の入ったパソコンとMicrosoft Officeを買いました。
Officeに関してはスクールに通って一通りの操作を習い、インストラクター資格も取ろうかと思っていました。
結局断念してしまいましたが。

そのパソコンは嫁入り道具として新居に持って行き、そこからNifty-serveにつなぎました。
真っ黒な画面に浮かぶ緑色の文字。
そこで私は当時夜だけつなぎ放題の電話料金プランで慣れない育児をしながらパソコン通信の世界にはまっていったのです。
そこで私は本名でなくハンドルネームによる仮想の私という存在を作って振る舞っていました。

時は流れ、インターネットが普及し、会員制サイトやMLなどでもあいかわらずハンドルを名乗ったネット上の交流は続きました。
ブログというシステムによる簡単なWebサイト構築の普及、Orkutから始まりGREE、mixiといったSNSも浸透し始めて、私はハンドルネームによる私を自分の分身として上手に使えるようになっていました。

しかし。ここに来てパラダイムシフトというべき経験をすることになります。
Facebookです。
Facebookは海外発のSNSで、リアルな交流がベースになったコネクションサイト。
今まではタブーだと言われてきた「実名主義」です。
名前を出すことにメリットはない、と言われてきた(仕事上はもちろん出しますが)意識の根底が崩れたのです。
しかしFacebookを使うなら名前を出さなくてはならない。
仕方なく出してはみたものの、しばらくは放置状態でした。

2年以上前に使い始めたFacebookですが、本格的に使い始めたのは1年ほどです。
日本でも「Facebookがくる!」なんて言われていた頃にブームに乗って使い始めました。

使ってみて初めて、実名主義の良さがわかってきました。

・海外在住の人の浸透度が高く、探してもらえる、認識してもらえることが多くなった
 (mixiは基本国内の携帯電話番号を所持している人しか登録ができないです)
・個人としての信頼度に責任が持てるようになった
・顔を出すことに抵抗を感じていたが、顔を見て旧知の人が連絡をくれるようになった

mixiでもかつての同級生と連絡を取り合ったりということはあったのですが、実名ならばさらに検索もしやすく交流を復活させることができます。

私はなんとなくバラバラに交流していた高校の同級生のグループを作ってみようかと提案し、何人かの友人に声をかけて参加をしてもらったところ、実に当時の学年の1/4、クラスにして一クラス分以上の人数が集まり、その普及率に驚いているところです。
かつて10代の頃に一緒にすごしてきた友達も、ライフステージとともに疎遠になり、フェードアウトしていたのですが、それも少しずつ復活できたことにとても喜びを感じています。

これからはどんな形でそういった人と人の交流が行われていくのかはわかりませんが、Web上で活動する限り、必ずどこかですれ違えるのかなと思っています。
今回はそう感じました。
Steve Jobs氏の件です。

昨日の朝、怪我をした息子を病院に連れていき、待合室でFacebookをチェックしていたら飛び込んできた記事。
あわててAppleのサイトを確認したらそこには彼のモノクロ写真とともに「1955-2011」の文字が。
ああ、恐れていたことがついにきたのかと感じました。

その後はFacebookもTwttterもmixiもその訃報に関する話題で埋め尽くされ、こんなに多くの人が彼がこの世を去ったことを悲しんでいるのだな…と感じました。

私とApple製品のかかわりはそれほど多くはありません。
学生時代と独身のOL時代、仕事で少し使った程度。
自分ではMacは一台も所有したことはなく、持っているのはiPodのみです。

ただ、このiPodを買うようになったきっかけもデザインの美しさと簡単なインターフェイスに惹かれたから。
きっかけはおそらく多くのMacに魅了された人々と同じなのではと思います。
そして、iPodは今やミュージックプレイヤーとしての範疇を超え、様々なアプリによって使う人のよく相棒としていろいろな形で関わっていきます。
今では当たり前に皆使っていますが、振り返ればそれは革命的なことだし、Apple全盛の最大の鍵だったと思います。

そして…私事になりますが、彼が膵臓ガンに冒され、発表会で登壇するたびにやせていくのを見るのは本当につらかった。
私は父を肝臓ガンのため64歳で亡くしていますが、それとかぶるのです。
ガンは若ければ若いほど進行が早く、人の体を蝕みます。
人間誰もが終わりの時はきますが、こんなに早くくるとは思ってなかったでしょう。
注目される人物は、その経過を目の当たりに衆目にさらさねばなりません。
本人や家族、社でつながりのある人々はどんなにつらかったかを考えてしまいます。

彼がこの世を去り、一つの時代は終わりを告げた感はあります。
しかし、きっとAppleという会社自身が彼の意思を受け継ぎ、人々をわくわくさせる製品を作ってくれるでしょう。
未来に期待しつつ、Steve Jobs氏のご冥福をお祈りしたいと思います。
(彼は仏教徒だったそうなので、ご冥福という言葉は使ってよいかと思います)