私の今の本音です。
少し長くてすみませんm(__)m
19歳で私を産み、父のあまりの暴力に逃げ。
私は当然父のことも知らず。 母一人子一人で本当に命がけで育ててきてもらいました。
その母が6月4日旅立ちました。70歳。若いとみなさんに言われますが、母の体は限界だったのだと思います。
7歳から5人兄弟なのに母だけ学校に生かされることなく、家族のために働かせられて、もらってくるお金が少ないと 体でも売ってこいと祖母に言わたり、兄弟をかばって何日もご飯が食べれないほど祖母に殴られたり。
母がいくつになってもお金のせびり方は尋常ではありませんでした。
そんな中、誰も祖母の面倒を見ないからと我が母は女で一人で祖母、自分の弟、私の面倒を見てきました。
祖母が亡くなってからは、母と私の二人で。
母いわく、やっと2人になれて今が一番幸せだと。何度も言って二人でよく出かけたりしました。
その後20年前に私は結婚。
歩いて1分足らずのところに住むようになりました。
元気に猫のリックンと過ごしていました
そんな母も今年の1月に肺がんの末期、余命6ヶ月。
皮下転移は私が見ても明らかでした。
こんなになるまで何故医者はほっておくのか?
癌研の先生に毎月見ていてもらったのに何故?
先生の紹介で癌研に、行けば予約は入っていないと。
受付であまりにも冷たい対応。
友人の先生の紹介で慈恵医大に。
先生方もしんみになってくださり、看護師さんにも恵まれて病室からは夜景も綺麗でサイコーでした。
何度も危篤を乗り越えて、ICUからも生還しました。
最後は入院するより癌も小さくなっていたのですが、CO2ナルコーシスという二酸化酸素がはけなくなり最後を迎えました。
担当の先生も 私もこの病気で最後を迎えたいと思うくらい、苦しまず痛くもなく安らかに寝たままでなくなります。
確かに全くいつ呼吸が止まったのか?
穏やかに安らかな最後でした。日を追うごとに綺麗になっていく母を見ていて、生き方の凄さを感じずに入られませんでした。
100人以上の方々が来てくださり、全員寝てるんでしょうと。
生きてる時も綺麗でしたがあれほど穏やかで平和な顔は見たことがありませんでした。
亡くなった日病室からの東京タワーです
あれから1ヶ月。
私も病院にも行くこともなく、母の事もほとんど終わりやっと寂しさと向き合う毎日となりました。
はじめはしっかりしていないととか、笑顔でいないとママが心配するとか思っていましたが。
一人になると涙ばかりの毎日です。
でも、知り合いの方々には元気でいるね!
と言われるので、元気でいないといけない。
それが辛くなります。
どうか、近くに肉親を亡くした方がいたら黙って手を握ってあげてください。
私の、右手はママがいつも握っていました。
でも、今は誰からも握られることはありません。
人の暖かさ。ぬくもりだけで、ホッとします。
誰でも通らなければいけない道ですが、もう少しママといろんなことがしたかった。
なんだかわからないことがズラズラとゴメンなさい。
でも、本当に悲しんでいる人がいて元気にしていたら装っているだけだと思います。
私も悲しくはありません。でも寂しいし、辛いです。
どうか会いに行って少しの時間でもくだらない話でもして激励してあげてください。
人は一人では生きてはいけません。
励ましは万の力になります。一人じゃないんだな。
と思います。そっと手を握ってあげてください。
私のような思いをしている人が一人でも少なくなってくれればと、本音を書いてみることにしました。
今日は暑そうです。
どうか今日もみんなにとって良い日になりますように。
そして、又元気になったらブログ開始します。