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こうのブログ

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母と私は団地に住む事になった
私には夢があった
音楽が好きだったから
音響の仕事がしたかった

結果、学校に行けず…
でも、一回は都会に行ってみたくて
地元で、お金を貯めて
兄のいる福岡に行こうと決めた

仕事が始まり数ヶ月した時
引越しを手伝ってくれたおじさん(父の兄)から 祖父が入院、祖母が老人ホームにいる事を知らされた

ショックだった

祖父は大きな事故をしたけど
退院してからは元気だったし
何故?入院?

それと祖母
兄弟が10人もいて誰もばぁちゃんと一緒に住めないのか?
ばぁちゃんは気の強い人
老人ホームでうまくやって行けるのか?

何より
なんやかんやで長い事連れ添った二人が離れて生活している事


私達は、口出す事は もちろん出来ず黙っていた


一年が経とうとした頃
祖母が死んだという知らせが来た


私が最後に見たばぁちゃんは
いつものように腰を曲げて、でも元気に押し車を押してる姿


信じられなかった

病気知らず
ケガもしない
本当に元気だったのに

一年もしないのに…

生き甲斐だった農家が無くなり
急に身体を悪くしたのか⁉︎


母は私に葬式に出て欲しいと言った

もちろん そのつもりだったから
即答「行く!」と答えた

ただ、母は立場上 出れないから…と

母の分も、ばぁちゃんにお礼とお別れを言って来て欲しいと


葬式は私達が住んでいた家でしていた
他人の物になっていたが まだ買い手が無く、そのままだった

葬式には近所のおばちゃんや叔父、叔母の姿があった
叔父、叔母でも始めて見る人もいて
引越しを手伝ってくれた叔父が私を紹介してくれた

葬式には、じいちゃんと父の姿は無い

じいちゃんは入院だから仕方ない

父は…

みんな居場所を知らなかっただろうし
知らせても来ないだろう


知らない叔父、叔母から言われた事

どんな風に どんな言葉で言われたか忘れたけど

家、家の土地、田んぼ、畑、みかん畑が無くなった事を責められた
何してんだ!と

そして、祖父母を見捨てた事を言われた


私は、ただお世話になった ばぁちゃんにお礼とお別れを言いに来ただけ

母が来れなかった理由はコレだった

母は、まさか子供の私には言わないだろうと思ってたらしいけど…言われた

私、父では無く母を悪いと言った叔父、叔母に イラっとした

私達がどんな思いで、この家で生活してたか、どんな思いで、祖父母と別れたのか

何も知らないくせ


でも何も言わなかった

ばぁちゃんの顔は本当に寝てるみたいだった
黒かった顔は少し白くなってた

ばぁちゃんの顔を見て泣いた

叔父、叔母から言われた言葉はその時は忘れた
純粋に、ばぁちゃんに申し訳ないと思った
辛かった


出来るだけばぁちゃんの顔を見た
いっぱい話したし、いっぱいお礼も言った
誰がなんと言おうと私と母は、ばぁちゃんに感謝してたし、ばぁちゃんの事が好きだった



その一ヶ月後
入院してた祖父が亡くなった

本当に後を追うように一ヶ月後だった

私は、葬式に出なかった

じいちゃんに最後のお別れを言わなかった
叔父、叔母に会いたく無かった

行かない。と言った私に 母は何も言わなかった


今 思えば 行けば良かったと後悔している
私は後悔だらけだ


じいちゃんは優しい人だった
ばぁちゃんが寂しがってるから?
それとも、じいちゃんが寂しかった?

また、二人で暮らせるね

じいちゃん、ごめんね


後で聞いた話
ばぁちゃんの最後の言葉は
母の名前だった事

実の子供が10人もいて
でも、最後は母の名前

ばぁちゃんにとって母は実の娘だったと思う

母は この話を どんな思いで聞いてたのか
多分、自分を責めただろう

でも
もう一回書くけど
誰がなんと言おう母と私は祖父母に感謝してたし、好きだった

ばぁちゃんの最後の言葉が全てだと思う