義兄の告別式が終わり、自宅マンションに帰ってきた時の事。
(21時半頃)
自転車を駐輪場に停めようとした時、併設された駐車場スペースでフラフラうごめくものが。
暗闇の中、動きが風にのってフワフワしていたのでホコリかな?と思ったのですが、歩いている様子だったので遠くから見るに大きめなアシダカグモだったのだと思います。
私はアシダカグモが大の苦手。
なのですが、不思議とそういう気持ちにはならなかった。
28年前に亡くなった母方祖父の時と同じ現象だったからピンときたんです。
(後述)
「あぁ…兄さんが最後の挨拶に来てくれたのね…」
壁の方に消えゆくアシダカグモに、
「兄さん…お世話になりました…ありがとうございました…」
と呟き頭を下げました。
ちなみに母方祖父の時は、
祖父宅でのお通夜にて、壁にドデーンと大きなアシダカグモが。通常こげ茶色なのに初めて見るグレーのアシダカグモ。
(この色のアシダカは後にも先にもこの時のみ)
すぐに「おじいちゃんだ…」と思いました。
その後、お墓に赤とんぼがとまっていたこともあったそうで、それについては母たち兄妹で、
「おじいちゃんが会いに来てくれたね」
と話したそうです。
今回のアシダカグモは、多分普段なら気付かなかったかもしれません。暗闇の中だし。
でも、
通常のアシダカグモの俊敏な動きとは違い、
フラフラフワフワ歩いていてホコリそのものなのですが、それにしては歩いているよね?みたいな。
で、よく見ると、
「わ、アシダカやん…まあまあ大きい…」
でした。
何が言いたいかというと、
そのアシダカグモは多分、私に気付いて欲しかったんじゃないかな。
だから暗闇の中でフラフラと。
暗闇の中で俊敏だと私は見落としたと思う。一瞬すぎて。
アシダカグモらしからぬフラフラフワフワ歩行だったから気付けました。
そして、「兄さん…」となったのです。
葬儀中や葬儀後に見るアシダカグモ、
そういうタイミングで見かけるのは今回で2回目でしたが、
不思議と特異なんですよね。
祖父の時は色味が、義兄の時は歩き方が。
私に気付かせる為なのかなと。そう解釈しました。
祖父の葬儀の時も泣きましたが、
それ以上に義兄の葬儀中はもうどうしようもないくらいに涙が止まらなくて。
そういう姿を見て、
「りりちゃん、ありがとう」
てアシダカグモの姿を借りて言いに来たのかなと思っています。
でも、兄さん、
次はクモ以外で。苦笑
【追記】
こういうのって、亡くなった後に色々気持ちが敏感になっているから、身の周りの事象と故人を結び付けたくなるのかな、とも思っています。
目の前に現れた虫は何でも、
「故人が虫の姿を借りて私たちの前に現れた!」
にしてしまう。したくなる。
私たち人間は、目の前に見えている世界、現在明かされていることは普通に信じられると思います。でもそれが本当に全てなのだろうか?私たちの常識、概念を超えた世界というものがもしかしたら本当にあるのかもしれない。
だからUFOもいるのかもしれないし、
故人が身近で見守ってくれているなんてことも本当にあるのかもしれないし、
故人が鳥や虫の姿をを借りて家族に会いに来た、なんてことも本当なのかもしれない。
見えないところ、知らないところにも世界線はあるのかもしれない。
だから、今回のことも「きっとそうだわ」と思っています。その方が温かい気持ちになれるじゃないですか。それでいいんだと思います。