光も通さないまっくろ瓶の正体は…?!


すももビネガー!!!


いまから
遡ること10年ほど前のはなし。


まだまだ
私のお尻があおいあおい
生意気な19歳の頃お世話になった

下北沢にあった

沖縄料理屋うない
というお店で働いていたときに漬けた果実酒のこと。。


3.11の震災の時、
私はちょうど
保育園で保母さんとしてはたらいていました。



今考えると
かなりのブラック保育園。


1歳児のクラスには13人園児がいて
私ともう一人の先生、
計二人での保育。



女性は結婚したら家に入るもの。
すきなことなんてできないのよ。


だれがいったかもわからぬ名言?
を信じて
この歳までいろんな職種をしてきました。



全てにおいて


自分がやりたいこと
体験したいこと

をひたすら
仕事でするという
若気の至り。。


使い方あってる…?😅




とまぁ、
子供が大好きだったので
保母さんをやってみたい!


と思ったはいいものの

調理師免許を
所持していてもなんの役にも立ちません。



資格がなくとも
雇ってくれるところを
かたっぱしから
探して文書を送ったり

面接しますが
資格がないと
話にならず…


ひたすら気合いだけで推し進むと
やっと一件
合格がもらえ
晴れて保母さんデビューをはたしました。



資格はなくとも
子どもたちを思う気持ちは人一倍あります!!!
で通った面接。

あの頃は怖いものなんてなかったんだなぁと振り返ります。笑笑

自分でしこんだ
10年ものの泡盛梅酒をのみながら
10年前の思い出に浸る。笑笑




ホントにこわいものなんてなかった。
こわいものが
なにかも
分からなかった10代。




保母さんをして
毎日が学びだらけでした。
私がまず担当したのは1歳児クラス。
新しい先生にはなかなか心をひらいてはくれません。

食事介助のときに
○○先生じゃないといやだ!

昼寝の時間にも
○○先生じゃなきゃねない!やだー!!
大泣き、


昼寝からおきても
せきね先生きらい!(私の旧姓はせきね)

つらーく
きびしー日々が続きました。


せきね先生なんて
大っ嫌い!!!!と言われた日には
相当落ち込みました。。。





資格を持っていたとしても

気合いで負けてたまるか!
ヤル気マンマン。


色々かんがえながら

毎日日記をつけ
13人の名前をかき
それぞれの子の体調、親、体温、癖、好きなもの、きらいなものなど
毎日毎日、ひたすら書き綴りました。


記録をつけるという行為は
頭に記憶するということ。


名前も覚えられないので
毎日名前やその子を思い出しては記録…

日記をつけるという行為は
とても役立ちました。

毎日、毎時間、毎分、
ひたすら子どもたちをあらゆる角度から観察してみること一ヶ月半。



食事介助の際、
料理がもられたプレートをひっくり返す
Iくんには
彼の大好きな歌を歌いながら食事介助をすることで
全くたべることのなかった
食事を完食するまでになりました。


昼寝の際、私だと寝ずに泣き叫ぶsくんとsoくんは
昼寝のときだけでなく
朝の登校時から
たくさんのハグ
一人で遊んでるときにも積極的に参加して
たくさん声をかけます。

私では全く寝ずに
それどころか泣き叫ぶ二人が
日常から接する事で信頼関係がうまれ
スヤスヤとねてくれるようになりました。



起きた出来事に直面したとき
あらゆる角度から見方をかえて
これだ!
という直感を信じてすすむ。

これをやってたんですねー
10代の頃は。


いまは
これだ!!!!!!

と思っても
すぐに突き進めない自分がいます。



それは
経験からでしょうか?
自分の実体験の統計のなかで
いやな記憶=ネガティヴ
がでると

いくらいい勘がおりてきても
またすぐに天へと帰っていってしまいます。

足がすくんで一歩が踏み出せなくなります。


恐怖と恐れ



あれー
おなじ字が二回登場!!


そう、
私は
一つネガティヴスイッチがはいると
心の中に恐怖が湧き出て全てにおいて怖いとかんじてしまう傾向があります。


そんな傾向があること
最近までは
全くしらず
気づいてからはひたすら
その現実と向き合い克服しようと
確実な一歩を踏みしめながら前へ向かって歩いています。



乗り越えられない試練なんてない!
そう思いながら
今日もみえない敵というなの
心のなかの自分と和合を取り合う努力中です。



夢と希望と若さが詰まった
果実酒が
記憶を、よみがえらせてくれました。



梅酒の話はとんじゃったので

また今度
ゆっくりしようっと。