気づいた。

私は、私自身を愛しているんだ。
そうするしか
身を守る方法がなかったから、そうした。(言い訳)
そうしていたら知らないうちに自分しか愛せなくなった。
人は、自分に足りない愛を人に求める。
だから、自分自身を愛せている人には人がいらないんだ。
愛はひとつのトランク。
そのトランクにいっぱいの愛を詰め込まなくてはならない。
けれど、自分でそのトランクがいっぱいになってしまっているから、人の入る余地もない。

自分のトランクを満たしたいから、人は愛を求めて彷徨い…
あわよくば、美しい人にその隙間を埋めて欲しい。
だから寄り添い、依存し合い、埋められたら喜ぶ。満ち溢れる。幸せ。

けれど人に永遠はない。冷める時は来る。
だから、どちらかの均衡が崩れ、崩壊すると、どちらかが今まであったもう片方の重みがなくなり、自分は落ちていく一方。

それに怯え、満たすため次を探す。

2つあった愛が半分に割れ、空白になり、とても寂しくなる。
埋めあった心、すぐそこにあった体温、笑顔。

全てが私のモノ、俺のモノだったのに、消えた悲しみ。

どうして俺じゃ、私じゃ、ダメなんだ。と。
結局は、自分の心(欲望)を満たすための道具に過ぎなかったんだ。

そんな悲しい結末なら、最初からいらない。

だから私は1人なんだ。
温め合うことを知ってしまうと、そこに縋りたくなるだろう。
したら更に欲深くなるだろう。
その欲は止め処無いだろう。
結末は呆気なく、直ぐに果てるというのに。
欲はそれ以上に強く深くなっていくものだろう。
そんな欲を知れば、タダでさえ欲深い私は、更にその深みに嵌り、落ちていく、だろう。

時には寂しさも感じるが、知ってしまった後に起こるそれとは、比べ物にならない。
一抹の不安だ。

だから画面の世界に依存するんだ。
人間は、依存し合いながら生きている。

依存は落ちて行くだけ、だから嫌い、
けど、仕方が無いのか。

私は私を愛しているというが、そんな愛など軽いもの。
恋人同士になった人のような愛ではない。
なぜなら私は自分の事なんてある程度どうでもいいんだ。人の事だってどうでもいい。

人よりは自分を愛してる自覚はあるが、それも愛してるに届かないほど薄いもの。

自分の為になら頑張れるなんて程の強い愛じゃない。私なんてどうにでもなればいい。

私は痛みと苦しみ、嫌なこと、それと恐怖さえなければどうでもいいんだ。

死んだっていい。
眠ってる間に何も感じず、済ましてくれれば。

私は自分を磨こうとも思わないし、どうこうなりたいと思ったとしても軽いもので直ぐに終わる。

使い古した汚いものは嫌いで、飽きたものも嫌だ。
新しいものは好きだが、それも分野による
。そして、使い古された綺麗なものは好きだ。

だが別にそれだってどうでもいい。

自分は昔からのくせと、恐怖で、人前では偽の自分が現れる。

人の心が怖く、自分の醜さを隠すため、必死になって着飾る。それも、自分が楽しいのではなく、自己防衛だ。

真の楽しさなどない。
別に求めるつもりもない。
悲しい人生だなと言われてもいい。
元より私の人生は、皮肉だらけだ。

 私は絶望してるのに何度も、ない希望に縋り付いて来た。幻と気づかず。

そして何度も現実という狂気に潰されてきた。

私は自分を醜い存在だと気づいていながらスルーし、何度も何度も、立ち上がってしまった。

でも、その最中も私は知らないうちに切られ殴られ潰され、(自らそれを手繰り寄せた)見るも無残な形になっていってた。
その結果が今だ。

私には残酷な未来しか残されていない。

愛するものは自分だけ。醜い自分。

そしてその愛は、憎しみ。憎悪。嫌悪。
私は私が嫌いだ。憎しくて、腹立たしい。

そんなことを考えるのも面倒だ。

私は醜い人間だ。

人から愛されないのは私にとって、いたって日常。
普通のことだ。当たり前だ。

だから私は私を愛する。
この地で原型を辛うじて留めておく為にも。

(2019/08/21、訂正)