最近、よくフリースクールの話題を耳にします。


でも、フリースクールって現代の寺子屋ですよね。


寺子屋は非常に優れた教育システムであった事は世界的に知られている事実です。


江戸時代、教育は私塾に丸投げでした。


でも、寺子屋が国の隅々まで行き渡っていました。


それこそ農村漁村まで寺子屋があり、みんな字が読めました。


それは年貢を納める関係で字が読めないと騙されてしまうので、必ず字を読めないと行けなかったそうです。


この頃の日本の識字率は当時の世界的に見ても異常なまでに高かったようで、ヨーロッパからやって来た学者や技術者達は皆驚愕しています。


字が読めるだけではなく、教材が「論語」などなので人格的にも整っていて道徳感がしっかりしていました。


それが、黒船来航で学制を敷き「富国強兵」を目指し敗戦まで突っ走ります。


敗戦後もまだ「〇〇大国」を目指してます。


もうね、やめませんか?


大国を目指すの。


老子は2000年以上前から「小国寡民」を説いてます。


老子と真逆の「大国多民」を目指しているうちは


子どもたちは学校になんか行きたがりませんよ。




なんてね。


これ、さも自分の意見のように書いてますが、


これを言ってるのは


うちの不登校の末娘です。


今年、中3です。


でも、もう進路決まりました。


今は家族全員幸せです。


娘が不登校になって分かりましたが、


要するに、今の日本の教育システムは


「何かを頑張らないと評価されない」というもののようです。


「頑張る」って聞こえはいいですが、


要するに「無理する」って事です。


「我慢する」って事です。


自分の得意な事をやっても評価はされないです。


先生にそこの所を何度も問い詰めましたが、


結局、相対評価から絶対評価に変わった為、昨日よりも今日、今日よりも明日、少しでも無理すれば評価はあがるけれど、無理しなければ評価されないと言うことらしいです。


得意じゃない事を無理矢理やらされるなんて、うちの娘が一番できない事でした。


娘は「何故そんなに無理させたがるんだろう?」と考えました。


その結果行き着いたのは、「大国を目指しているからだ。」と言う考えでした。


「大きい事」「優れている事」これを国全体が目指している。


でもこれは、全国民が「無理をする」って事が前提になっている。


だから、子どもたちは無意識のうちにその前提に「NO」と言って、学校に行かないと言う選択肢を取っている。


不登校がこんなに増えたのはこのようなカラクリがあるのではと言ってました。


ちなみに娘は「小国寡民」の事は知りませんでした。


娘「大国を目指してるからいけないんだ」

旦那「小国寡民の事?」

娘「は?何それ?」

旦那「老子さまの言葉だよ。2000年以上前から目指すべき国の形を説いてる」


辞書で調べる。


娘「まさしくこれ」


私たち親世代も「大国主義」を刷り込まれているから私も最初は「え?いいの?本当にそれで大丈夫?」と思いました。


でも確かに大国を目指して来て一体どれだけの人が幸せになれたのかと思ったら、本当に一部の上の人達だけなのではと思います。


だったら、もう国全体で「大国になろう」ってするのはやめて、「ちっちゃくてもみんなが幸せな国」を目指した方がいいのではありませんか?


と言うか、日本は江戸時代まではそうだった訳です。


明治から現代までが違うだけで。


「小国寡民」で2000年近く来たのに、ほんの150年「大国主義」になっただけです。


大国はいずれ瓦解します。


それは歴史が証明しています。