3月1日に高校を卒業しました。高校卒業の時に思ったことを忘れないように、書き残しておきます。
私の高校は自主自律を校風とした、ある程度自由が認められた高校でした。いざ卒業を迎えてみると普段感じることの出来なかった自主自立という言葉の重みを感じたので徒然と書き残してみます。
自由って何だろう。よく自由とは何でもしていい自由ではないということを聞きます。でもそれは間違えであると思う。
他人によってしてはいけないことが定められていたら自由ではないと思う。あくまでしてはいけないことは個人の良心が決めるだけであるものであると思う。それがグロチウスの唱えた自然法であると考える。
じゃぁ自由なんだから好きかってやっていいか。もちろん、そう。ただ自由にやったことに対して起きたことに対して完全にすべてにおいて責任を負わなければならないのが自由だと思う。もちろん何もしないのも自由。
私はかなりのことにおいて自由だ。校則に縛られることもない。大学の授業も自由な裁量が認められている。だから私は自戒しなければならない。自由ということは何もしなくてもいい。でも何もしなかったことからくる結果に関して私は完全にすべてにおいて責任を負わなければならないのだから。
そう考えると私の心には大きな不安と大きな希望がある。自らを律せず何もしない自由を行使すればそれによって起こるであろう将来はもう18の私には十分に予測できる。ただ私にはありとあらゆる良いことを出来る自由も時間もある。
このように考えてみると自主自律という言葉が、高校生時代には感じられなかったこの言葉の重みと輝きが少し理解できた気がした。
