呪術廻戦の二期が始まりましたね。

五条悟と夏油傑のアオイハルが眩しいです。

みんなキラキラで仲良し。

 

OPとEDも素敵な曲で、嬉しい。

めっちゃリピートしてます。

 

 

 

 

 

 

グッズの量も半端ないし、コラボの数もすごい。

こんなたくさんは無理ーと悲鳴を上げつつ、

ココスコラボには行ってきました。

景品のクリアファイルがなくて悲しみ。

コラボ第二弾は、開始当日に行ってやる。

夏油さんファイル欲しいです。

 

 

ココスの隣の席では、同じようにクリアファイルがもらえなくて、

残念がっている親子(母親と娘)の方々がおられました。

親子で同じものが好きで一緒にコラボ巡り行けるとかめっちゃ羨ましい。

 

息子帰ってこないかなー。

コラボメニュー一人で食べるの大変ねん。

 

訪問してくださった方、ありがとうございます。

とても嬉しいです。

 

今更感ありますが、ワイヤレスイヤホンを購入しました。

息子が四六時中つけていて、

話しかけても返事しないことが多々あったので、

正直ワイヤレスイヤホンって嫌だなあと思っていたんですが、

自分で使ってみるとびっくりするぐらい快適です。

これは、四六時中つけるわーと納得。

 

 

私が購入したのはこれかな。

 

何をしていても自分の好きな音楽が耳元から聞こえる。

めっちゃいい

 

部屋で音楽を流していると、

違う部屋に行った時に聞こえないのが寂しいんですが、

ワイヤレスイヤホンだとずっと流れていてくれる。

めっちゃいい。

 

楽しくなった私はワイヤレスイヤホン購入したのと同時に、

音楽配信サービスSpotifyにも加入。

最初は無料サービスだったんですが、

聞きたい曲が選べないので、有料に加入。

 

いやあ、このサービス、めちゃくちゃ楽しい

好きな曲をお気に入りにして、エンドレスで流してると

作業効率がめちゃくちゃ上がる。

 

なぜ結構前から普及しているこういうサービスや

機械を使用していなかったかというと、

実は、最近音楽というものから離れていました。

 

音楽が聴けなくなったというのが正しいでしょう。

 

私は、昔から音楽に自分の心象風景を載せるのが大好きです。

なので、その時の自分の気持ちを表している音楽を

延々と聴き続けるということをしがちです。

一番最近聴き続けたのは、米津玄師さんですかね。

 

そんな風に音楽を楽しんでいた私なんですが、

ふっと音楽が聴けなくなったんですよね。

聴いても騒音にしか聞こえなくなるというか。

 

今思うと、当時の私は子育てや仕事についての、

受け入れ難い現実

それについて無力な自分というものに向き合いながら、

どう生きるのかということに悩んでいたのかもしれません。

 

そういう自分の気持ちを表現している歌もあるのですが、

それ系の歌を聴くと、

わかってんだよ、そんなこと とさらに攻撃的な気分になり、

余計聴けないという悪循環。

 

今思うとしんどかったなあ。

 

けれど、世の中の事象において正解や不正解なんかはなくて、

 

「ただその出来事があるだけ」

 

ということに気がついてからは、

起こった出来事を

あるがままを受け入れるということができるようになり、

少しずつ自分の心が落ち着いてきたように思います。

 

そう、「無為自然」てやつです。

老子、荘子は偉大だった。

 

 

 

 

昔、荀子が好きだった私は、

彼らの言っていることは、

理解できるが受け入れられなかったのに、

人は成長するものだ。

 

 

 

どうしても、

子どもをちゃんと育てなければならない

という縛りは、

正解があると思ってしまうから、

そうなるんですよね。

 

けれど、世の中には正解なんかなくて、

正解のように見えるのは、

日本の社会において敷かれているレールというだけ。

他の国では存在しないもの。

 

そんな脆弱なレールを、正解だと思い込み、

子どもに押し付けて、

それに乗ることが幸せだと思い込んでしまう。

 

そこに悪意なんか全然なくて。

なんだったら、それが子どものためだとさえ思ってる。

 

そしてそれだけでなく、

自分の子どものためだったら、

他の人を踏みつけることも厭わない。

自分の子どもを守るためだったら鬼にでも悪魔にでもなれる。

 

いわゆる鬼子母神的存在になってしまう、自分。

 

 

子育てをしていると、

そういう自分の業の深さというものを時折感じ、

自分が自分でなくなっていくような恐れを何度も感じました。

 

私が、そういったものから抜け出すことができたのは、

息子が、私に力の限り逆らってくれたからです。

 

反抗期という名のものとに、

私は私の道をいく と声を上げてくれて、

本当に良かったと思います。

 

そのことで、

私は息子を一人の違った人間として

理解できるようになったし、

彼のために万難を排すという狂気的な考えから

抜け出ることができたのです。

 

多分、それがなかったら、

私は息子を悪意なく壊していたでしょう。

そんな自分が本当に怖い。

 

まあ、そんなわけでいろいろありましたが、

ようやく自分を取り戻せてきた私は、

また、音楽を少しずつ聴けるようになりました。

 

人間のメンタルって本当に不思議。

あんなに雑音にしか聞こえなかった歌が、スッと入ってきます。

私にとって、音楽が聴ける聴けないが、

わかりやすいバロメーターになっているんですね。

 

多分、これからもいろいろあるかとは思いますが、

音楽が聴ける程度のほどほどさで対応していこうと思います。