行動することの大切さ、人のチカラの素晴らしさ…
そんなことを学んだ初めてのボランティア活動。
《参加ツアー》JTBボランティアバスサポートプラン
《日程》2011.9.16-19(16日23時東京駅発~19日22時半東京駅着)
《場所》宮城県気仙沼大島
《宿泊先》民宿アイランドハヤシ
《活動内容》瓦礫撤去作業
参加者は40名程で、男女半々くらい。
年齢は様々。
知らない人と2泊をともにする。
人見知りの自分には、とても不安な旅立ちとなった。
夜行バスも過去一度しか乗ったことがなく慣れていないので、前日には行くのを躊躇ったほど不安だったのだ。
どれだけ着替えが要るのか?
何を使うのか?
荷物の準備にもとても時間がかかった。
出発前の時間、すごく緊張していたのを今でも思い出す。
何度もトイレに行って(笑)
バスに集合し、隣の方と軽く挨拶をして就寝。
意外と寝れて、あっという間に気仙沼に到着した。
初めて自分の目で見る、津波の爪痕。
テレビで新聞で何度も見ていたが、やはり実際に見るのは違う。
半年が経っているというのに、当時のままのような街並みに驚いた。
無論、震災当時はもっともっと酷い状態であったのだろう。。。
フェリー乗り場も崩れたまま。
フェリーで揺られること約20分、大島に到着した。
大島は、海側と気仙沼側両方からの津波を受けて、島が半分に分断された。
更に気仙沼の火災が瓦礫を伝って大島にも燃え広がり…島は孤立。
島の復旧は米軍の支援や、島民の有志(おばか隊と呼ばれる)が中心となって行った。
自分も家族や家を失くして大変な時に、島の為に働くなんてバカだ!と、おばか隊と言われていたのだそう。
恐らく被災地の中では復旧が進んでいたであろう大島。
確か、私が訪れる数日前に、打ち上げられて道を塞いでいた大きな船が撤去されていたこともあり、島内は想像していたより綺麗な印象だった。
作業はおばか隊の指導のもと、田んぼの瓦礫の撤去作業を行った。
湿地で歩きづらく、草がすごくて、瓦礫は埋まっていた。
瓦礫。
それは、そこで暮らしていた人々の生活そのもの。
泥に埋れた生活の一部を見て、この持ち主は無事だろうか?無事でありますようにと祈った。
草をどかして、瓦礫を掘り出し、道路脇へ運ぶ。
道路脇へ運ぶのも一苦労なので、途中からはバケツリレー方式でじゃんじゃん運んだ。
知らない人と共に汗を流し働き生まれる一体感が、妙に心地よかった。
大島はゴミの分別を厳しくやっていて、瓦礫を運ぶこと以上に分別が大変だったという印象。
この分別のおかげで瓦礫処理がとても順調に進んだそうで、海辺の瓦礫の山は震災から一年後には大分無くなっていた。
作業は二日半行い、やり残しはあるものの本当に大勢のチカラってスゴイな…と実感するほど片付いた田んぼ。
嬉しくもあり、もっと作業したいという心残りもあり。
作業の時間以外には、宿の方が亀山など島内を案内してくれた。
仲良くなった参加者と、星空ウォッチングや朝の小田の浜散歩なんかもして。
美しい島の景色を堪能して、かつて観光で賑わっていたであろう大島の復興支援への思いが強くなった。
実際に自分の目で見ること。
行動すること。
人のチカラのすごさ。
そんな大切なことを、沢山学んだ3日間の旅だった。
どこの被災地でも(被災地じゃなくても)自分がやらなくても誰かがやるだろう、という人しか居なかったら何も進まない。
たとえ一日や二日の短い時間でも、一人一人のできる事は少しでも、大勢が集まれば力になれるんだということをとても実感した。
「こうしてボランティアの人とかが島に来てくれることが何より嬉しい」と言った、宿のおかみさんの言葉は忘れない。
帰りの船が出発するときお見送りしてくれた、おばか隊と宿の方々。
涙がでた。
また会いに来よう。
これからも、ずっとボランティア活動を続けていこう。
そんな気持ちにさせてくれた、大島の皆さんと美しい景色、そして共に働いた参加者の皆さんに感謝。
震災まで知りもしなかった遠く離れた気仙沼大島が、私にとって特別な場所になった。






