はじめまして、岐阜の田舎に住む、Rieです。
blogを始めてみようと思ったきっかけは、大切な仲間からの言葉でした。
「あなたは書く人よ。あなたにはネタしかないwww。
文字にすることで、地球上の誰かが求めている事、 伝えられる。」
とな…。ずーっと教えてくれていた仲間がいます。
そして、同じ仲間もブログ始めたり。
新たな学びを始めたり。
好きな事にトコトンエネルギー注いだり。
自分と向きったエピソード、シェアしてくれたり。
家族とはまた違う、深〜い深〜いところで繋がっている仲間からの、背中を押す言葉に、行動に、いつも刺激もらってて。
なので、まずはわたしの妊活から出産に至るまでの事を…。
私、Rieは、結婚してすぐ腸の病気が見つかるんです。 それも、難病の特定疾患。 クローン病。
まーとにかく、下痢やら関節痛、炎症、熱との闘い。 体も痩せ細ります。
まずここで、
「なんで私がこんな病気なるん!
健康優良児で表彰されたくらい、健康には自信あるし!
学校だって休まず行ったさ!
で、なんでわたしなん! (T ^ T)」
とにかく、自分の今までの生活で、ダメだったところを挙げまくって、ダメだし🙅♀️ばかりしてたなぁ。
こんな気持ちで始まった新婚生活。
旦那さんも、ま、さ、か、新婚早々こんなことになるとは…と、おもっていたことでしょう。
両親にも泣きながら訴えました。
きっと、それまでに親に泣き言いうなんてしてこなかった私だから、親は言葉を失ってたなぁ…。
忘れもしません。
まっ、こんな新婚生活のスタートだったから、子供が欲しい👶🧒なんて、心の奥底にしまってた。
でも、ほんとは授かりたい!って気持ち、ずーーーっとあって。 ただ、すぐに妊活やら不妊治療に踏み出せずに、結婚して4年の月日が経ってからかなぁ、初めて産婦人科へ。 めっちゃ、勇気いったの覚えてます。
だって、自分は腸に疾患あるんやよ、そんな人が妊活できるん?!
とか、
自分の体のこと、後回しにできるん?!
薬飲んだり、治療したりが優先なはできんやん。
とか、自分のこと責めながら、何言われるんやろ?!ってでっかい不安とともに行った産婦人科。
先生はあっさり、
「薬飲んでたって、できるよ。 もっと強い薬飲みながら、妊活してる人だっているし、 妊娠出産していく人いるから。 その時の自分の体調と相談しながらやればいいだけの話! あとは、あなたの勇気次第なわけ。」
(えーーーーー、 妊娠するには薬全くゼロにしなあかんっておもってた!) ←私の心の中
で、体調の良い時を探りながら、妊活スタート!
色々やりました! タイミング、体内受精、卵管の洗浄、何度もなんども。
体調の良い時もあり、悪い時もありで、やっと初めて体外受精に踏み切れたのが、結婚して11年経ってからの春。
採卵できて受精できた我が子は、3人分。
まもなくまず1人目、私の体に戻ってきました。
うまく着床してくれて、初めての妊婦生活🤰🥰
ドキドキと嬉しさと入り混じった複雑な気持ち。
それでも、妊婦生活🤰が心配の日々。だって、病気のこともあるし…って、めっちゃピリピリしてたの覚えてる。
産婦人科、消火器内科、外科とも、よーく相談しながら生活してました。
な、の、に、24週入ったところでの検診の時、
「赤ちゃんがあまり成長していないのと、 胎盤の血流に逆流が見られます。 今すぐ赤ちゃんを出しても、 うまく成長してくれるかわからないくらいの大きさです。 なんとか妊娠継続できるよう、入院して様子を見ましょう。」
と、先生から告げられ…。
頭の中が真っ白に。。。。。
もー、神様にお願いするしかない!
とにかく安静に…で、入院に。
し、か、し、翌日の朝の心音確認の時、赤ちゃんの心音が聞こえない…。
何度やっても、聞こえない…。
機械を変えて、先生がやっても聞こえない…。
告げられたのは、
「赤ちゃん、お腹の中で亡くなってます。」
だった。。。。。
(……… )
(不育症だったのです。)
涙しか出ない。
声も出ない。
息してるのに、息苦しい。
先生も、母も、何も言わない。
私は泣きながら、必死に受け止めようとしてた。
しばらく、1人にしてもらって、泣いた、泣いた、泣いた。
泣いても泣いても、涙が止まる時ないのね、こーゆー時。何言われても、言葉は入ってこないのね、こーゆー時。
自分の体がバラバラにされた気分。
病気が分かった時とは、全くちがう感情。
赤ちゃんが亡くなったと同時に、自分もこの世からいなくなったくらいの絶望。
人生、生きてきてその時で37年。
味わったことのない気持ちだった。
もーーーーー、夫婦で泣いた、泣いた。
私を1人にしないようにと、家族は守ってくれた。
1番近くで旦那さんが、すごーく守ってくれた。
(この人となら大丈夫!)って、心から思えた。
(辛いこと、一緒に乗り越えられる)って。
1人目の我が子は、男の子。
可愛いかわいい、大切な我が子に、主人は名前もつけてくれました。
その子も5歳のお誕生日が、もうすぐです😚
それから1年経って、また体調の良い春、2人目の我が子を私の体へと戻してもらい、これまたうまく着床。
もー、1人目のことがあるから、それ以上に万全の体制を整えて、衣食住の全てに全身全霊で挑んでました。 毎日、神経尖らせて。
2人目の時は、順調に成長してくれてました。
が、しかし。。。
22週の頃、切迫早産の危険が!と言われ、緊急入院。
またか。。。1人目の時のことが、よぎる。。。
とにかく、病院で安静にして、赤ちゃんを長くお腹に!と言われ、退屈ながらも毎日がドキドキで過ごしてました。
25週と0日という夜中に、なにやらお腹の張りが強く、「もう母体が限界なので出産しましょう!」となり、緊急帝王切開。
もちろん、赤ちゃんは小さいです。
でも、あとは赤ちゃんの力を信じましょう!という先生の判断。
産まれた我が子は、男の子。
「おめでとうございます。」の言葉すら、あまり覚えてない…。我が子を抱くこともできず、新生児科のスペシャリストの先生方が、保育器にいれて連れて行きました。。。
産声を聞くこともなく、赤ちゃんの力を信じて見送りました。我が子に会えたのは、出産した翌日になってから、抱くこともできないけれど、748グラムの我が子に初めて触れることができた時、涙が止まりませんでした。
私の両手で、体が隠れてしまうくらいの大きさ。
手のひらに、乗ってしまうくらいの大きさ。
手を触るのも、皮膚が弱そうで怖いくらい。
ごめんね
ごめんね
ごめんね…
でも、一生懸命生きてる。
生きようとしてる。
お母さん、大丈夫だよ…と言っているかのよう。
私はまた自分を責めます。
もっと自分にできたことはあったのでは?
なんでもっと早く、気づかんかったんやろ。
私がもっとしっかりしてたら、あなたはこんな小さく産まれることはなかったのに。
もっと…もっと…もっと…
自分を責めることしか見つからなかったんです。
我が子は、たくさんの管につながれて3ヶ月以上の入院生活。
私はその間、毎日3時間おきの搾乳生活。
冷凍保存しては、毎日病院へ届けてました。
家族3人で、必死に乗り越えて、やっとの思いで退院。 退院時、我が子の体重は2300g近くになりました。
嬉しかったぁ、やっと家族3人の生活ができるんだもん!
それからの子育てといったら、小さく産まれたから神経質になるわ、なるわ。
まーーー、私の心はどんどんボロボロになっていく。。。
今でよく聞く、ワンオペ育児してるやん!(T-T) って。
私1人で子育て頑張ってる!って思い込んで、主人を責めて、もっと協力してよ!って怒って、イライラして、家庭内うまくいってる風に見せかけてた時期がありました。
1人目の死産後、(この人となら大丈夫!)って思ったはずなのに…。笑顔すら、表面的なものになってたな。「ありがとう」という言葉さえ、取ってつけたようなありがとうでさぁ。
相手の顔色ばかり伺って、それでも主人に色々要求したり。 自分が正しい!と、思い込んで。
そんな時ふと、やっとの思いで出産して抱けた我が子に、
(可愛はずなのに、心から可愛いって思えない…私)という気持ちに気がつきます。
そんな時です。
高校時代の仲間が、子育て中のママの力になっているってことを知ったのです。「セルフチューニング」「being mind」「本音Labo」
最初は、質問されることに応える事すらできなくて、溢れる涙と自分の心の中で、たくさんの糸が絡まり合っているのがわかりました。
自分がどうしたいのかさえ、分からない。
自分がこうしたい!って願うことはダメなことだって思ってたから。
だから、余計言葉にならない。
長い月日をかけて、少しずつ「本音Labo」で自分の心をさらけ出し、他の仲間も増えて色んな体験を聞くことが出来て、そこで深いところで繋がって、「自分の本音」にたどり着ける事が出来るようになってきたかなぁ…。
人のせいにしてたら、楽だもんね。
自分は傷つかない。
人のせいにしながら、自分を傷つけてる事に全く気がついてなかった。
自分で「自分を大切に」してなかった。
「自分の感情を後回しに」してた。
些細なことでも、「自分が我慢すればうまくいく」と思ってた。
「自分の味方」は他人ではない、「自分である」という事も気がつかなかった。
「自分のご機嫌」なんて、完全に無視してた。
「自分を好き」という感覚さえ、分からなかった。
意識が外側ばかり向いてた。
「内側」=「自分の魂」の存在さえ消してた。
家のとこ、子育てのこと、自分のこと、一手に1人で背負ってるって、勘違い、大きな勘違い。
家のことなんて、完璧にしなくていいのに。
掃除しなくたって、ご飯適当だって、なんとかなるもんね、 今は便利なものいっぱい溢れてる。
子育ても、子供が泣いてたっていいんやよね、泣かしといたって。
泣き声に「お母さんアンテナ」が、過剰反応してるだけやし。
待たせて大丈夫!
自分の体しんどい時に無理して色々やろうとしんくてよかった。
しんどいんやもん、
「今はできませーん、お願いしまーす」
って、横になってたって良かったやん。
ようするに、全て頑張りすぎてた(^◇^;)
誰ひとり、私に期待してるなんてひとことも言ってないのにwww
(この辺りの細かいエピソードは、別の機会に)
自分の感情は行ったり来たりだけど、絡まり合った糸をすーっとほどく手段を少しずつ実践して、自分の心のセルフチューニング出来るようになってきたかな(^^)
以前の私より、今の私は『大好き💕』です。
今はその子も4歳。 大きなトラブルもなく、すくすくと成長してます。
体はやや小さめですが、コミカルな動きがたまらなく可愛い男子です❣️
2人目の出産後は、私の体調も優れない時が多くて、色々ありました…。でも、「もう1人産みたい!」という、自分の願いがあります。
だって私にはまだ1人、お腹に戻ってきてくれる子が待ってる。だからこの春、主人とも相談して、最後の体外受精にチャレンジしよう!となりました。
42歳になる年です。
(着床してもしなくても、これが最後にしよう)という心持ちでした。
ありがたいことに、体調も戻ってきていましたし。
今だ!!!って。
産婦人科の先生も、
「次の生理が来てから、戻す日程を決めましょう。
生理が来てから3日目に来てください」
と仰いました。
で、待ちます。
とにかく、生理が来るのをまてば、3人目の我が子をお腹に戻すことができるんだ!と、普段と変わらない生活をして待ってました。
でも、なかなか来ない。。。 まさか、腸の調子良くないのか?と思いながら。
(3人目の我が子→受精卵 にも、冷凍保存期限というのがあって、とうとうその当日になってしまったので、解凍されてはダメだ!って事で、延長料金、約3万円を支払いに産婦人科へ。)
その時、基礎体温帳をみてから言われたのが、
「一応尿検査しておきましょう。」でした。
しばらくして先生から言われた言葉が、
「はい、おめでたね。
体外受精しなくても妊娠したよ。
こーゆー事もあるんだよ。
良かったな。頑張ってきたからな。」
ビックリしすぎて、私の体の全血液がドシャーーーって凄い勢いで流れてる感じがしてwww
何が何だか分からなくなって、すぐに主人に話!!!
主人も驚きを声で表現してました(笑)
(ちなみに、3人目となる予定だった受精卵ちゃんも、まだ凍結保存してもらってます(^^) )
今は妊娠26週に突入!!! まもなく27週。
私にとっては、未知の世界の妊婦生活を送ってます。
なんだか、今までの妊娠とは全然違って、日々の変化を楽しんでる自分www。お腹の中で、大きく動くのようになった我が子。その動きも、日に日に違ってきてて。
また、自分の体の変化にも、日々ワクワクしたりしてwwwこんなにお腹出てきたから、今まで普通にできてたことができなくなったり(笑) 爪を切ったり、お風呂の掃除したりが難しくって🤣
こんな事すら、笑顔になる私。家族もまた、その変化を一緒に共有してくれて、これもたまらなく幸せになるんです。
3回目の妊婦生活だけど、明らかに今の自分は、前と違う!!!
「あれダメ🙅♀️、これダメ🙅♀️の制限する妊婦生活はやめまーす」
って、妊娠発覚直後、真っ先に主人に宣言してましたし(笑)
その宣言の後まもなく、仲間とのキャンプにも出かけました、子連れで(^_^)電車旅、約3時間。
あんなにピリピリ神経質になってた私、???あまり感じられません(笑)
自分が「やりたい事」「食べたい物」「気持ちよく過ごせる事」これを優先。
それが全て叶わなくてもいいの。
そう思った自分に、「マル🙆♀️」して居ればいい。
それだけで、全然違う!
自己否定しない、怒ってもいい、イライラしてもその瞬間で終わる事ができるから。
だって、今の私は以前の私より【大好き💕】だから。
仲間の1人に言われたのは、
「全然安静にしてない妊婦やなぁ(笑)」
って、🤗
サイコーな褒め言葉、ありがとう。
順調にいけば、2020年の1月早々に出産になります🥰 もー、その日が来るまで、いろんな出来事楽しむっきゃない❣️と、思う日々です。
今日も、どんな1日を過ごすかな☺️