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リッチーのブログ

私の昼食紹介です。
作文の練習をしています。
人に伝えられるように練習してます。
表現が苦手なので克服してコミュニケーション力を鍛えたいという思いから始めました。

書くのが久しぶりになってしまった。
毎日書こうと思ってもやっぱり続かない性分。
これは昔っからそう。
お母さんと交換日記してたなー
褒めて欲しいからいいことしか書かなかった気がする。
お母さんは仕事に家事に色々忙しくて、なかなか返事を書いてくれなかったなぁ。
私がやりたいって言ったわけじゃなかったのに。
お母さんなりに歳の離れた末っ子と時間を埋める策だったのかもしれない。
2歳から保育園に通ってた。帰りのバスのお迎えはおばあちゃんが多かった気がする。
お母さんはモスバーガーでパートをしていて、帰りにモスバーガーをよく買ってきてくれてた。
小学校に上がると、お母さんと過ごす時間はほとんどなかった気がする。
土曜日はまだ学校があった頃だから、休みは日曜だけなんだけど、どっか出かけるっていうと、だいたい父と2人だった。
お母さんは6つ歳の離れた兄のソフトボールクラブの役員で、日曜はいつもそれに出かけてた。
小学校の頃は鍵っ子だった。むしろまだ鍵っ子なんて言葉がない頃だった。
家に帰ると誰もいなくて、1人でお絵描きしたり、パズルをやったり、人形遊びをしたり、1人遊びが得意だった。
近所に同じ歳の頃の友達もあまりいなかったし、末っ子で引っ込み思案の人見知りだった。町内会の集まりはいつもお母さんの後ろを金魚のフンみたく付いてまわってた。
8つ上の姉は電車で1時間くらいの私立中学に通ってた。おまけに部活をやってたから、いつも帰りが遅くて母が迎えに行ってた。
兄は家には居なかった。友達んちか、塾にでも行ってたのだろう。もしかしたら家にいたのかもしれない。
とにかくいっつも夜お留守番だった。
すぐ帰ってくるから待っててっていつも1人が怖くてなぜかカーテンの陰に隠れてた。
いつの日か、怖くないように防御策を取り始めた。(今思えば防御策に違いない笑)自分の使ってるものには全部に話しかけた。ぶつけたり落としてしまった時には、ゴメンねと話しかけた。私の独り言が始まったのはそれがきっかけだと思う。
きっとそんな私を見て母は交換日記をやろうと言ったんだと思う。
子どもの頃からとにかくヒステリックで、嫌なことがあるとすぐ泣いてガンガンモノにあたった。交換日記も壁に投げつけ、ページをビリビリに破いたこともあった。けど自分のモノをこれといって壊した記憶はない。モノが友達だったから、あたったとしてもゴメンねと最後には言ったにちがいない。そんなモノに当たり散らす私に母は困っていた。小学校も高学年になり、当たり散らす回数も減ったとゆーか、イライラすると自分で日記を書いていた。自分の思い通りにならないことを人にいってもよくないから、紙に書いた。
それでも気が収まらないこともあった。
そんな時はものを投げた(笑)
ハサミを何回か投げて何本か持ち手が折れてしまったことがあった。それでもお気に入りのハサミだったので使っていた。
そんなヒステリックは忙しくなることと、大人になることで、抑えられていた。いや、発散方法を食べるところに持ってったのかもしれない。
それなのに、一人暮らしを初めて3年くらい経った頃再発した。
仕事は表面上はうまくいっていた。
技術者として中堅程度の技術もあった。
要求されることが増えストレスはどんどん溜まっていった。休みの日は寝て疲れを取るのでいっぱいいっぱい、仕事の日はとにかく食べる事で抑えていた。でもやっぱり年頃の女子だからダイエットがいつもよぎる。
そんな折り、ダイエットを決意し、食べる事をやめた。
そこでヒステリックが再発したのだ。
それからというもの、自分の感情がなかなか抑えられないことがありすぎた。
ストレスは溜めたらだめだ。
私は寝るのが大好きだから仕事で寝れない日が続くのが耐えられない。
そんな時は仕事さえも仕事と割り切れなくなり、理性を失ってものに当たり散らす。挙句の果てに自分をひっぱたくようになった。
全部自分が悪いからと殴りながら自分に罵声を浴びせた。
いつしか自分に自信がなくなってすっかり引きこもりになった。