感謝しようとしても、中々そんな事見つからないって思ってしまう事も、日常にはたくさんあります、
上手くいかない事があったり、人間関係にしても、嫌な事があったりすると、その事が心に覆いかぶさってしまい、その事にとらわれて、幸せが何処にあるのかさえ、分からなくなってしまったり。。。
でも、それでも本当は、その課題の中で、幸せ✨✨を見つけていく事ってとても大切なんだな、と感じます✨✨
食事一つにしたって、毎日美味しいご飯が食べられて、本当はそれだけだって幸せ✨✨な事。
地球には70億近くの人口が生きていて、衣食住が足りているのは、たったの5億人程度だと聞いた事がありました。
日本人は、その中の5億人の中に入っているそうです。
貧しい国の人ならば、子供であっても学校にも行けず働きに出なければならない。
そして明日のちょっとの食料を稼ぎに行くのをテレビで見た事がありました。
私達は当たり前の様に、小さい時から美味しい食料に恵まれ、当たり前に学校に行き、当たり前のように仕事に就ける。
そんな事は、普通で当たり前だから、感謝もわかない。
だけど、本当は、そんな貧しい国の人達の生活を考えたら、毎日美味しいご飯が食べられて、今日はご飯、明日はラーメンでも食べよう✨✨とか苦労しなくても簡単に食べる事も出来る私達って幸せだよね。
仕事もあり、食料も足りて、健康でいても、現状を当たり前と考えて、感謝しようとも思わなくなってきてないかな?と感じます。
これが嫌い、あれが嫌い、と目の前の食事をボイコットする事さえ出来ます。
健康で暮らせて、仕事もあって、家族や素敵な伴侶がいても、それも当たり前になり、感謝もなく、不平不満を漏らす。
人の悪口を言い、ウサを晴らす。
最近良い事ないわ、あー、つまんない!
とか言ったりする。
本当は物凄く足りていて、感謝だらけなのに、無意識に手に入っているものは、自分にとって、当たり前なんだ。
当たり前だから感謝もしない。
貧しい国の人から見たら、私達が、あれ嫌い、これ嫌い、な食べ物でさえ、嬉しくて、
あー、これで明日は食べていける✨✨
と思うんだろう、と思うと、何だか自分も1番大切な事を忘れてないか?と思ってしまうんです。
貧しい国の人達は、ちょっとの食事でも嬉しくて感謝する。
だけど、自分はどうだろう?
当たり前になってないだろうか?
と感じました。
衣食住も物質的なものは、当たり前のように恵まれているかわりに、
同時に、心の飢えを感じている。
全てが当たり前で、苦労もなく、それが当たり前になると、生きている意義を自分の中から感じなくなる。
何の為に生きているのか分からなくなる。
自分は何の為に生まれてきたのか分からなくなる。
一生懸命に魂を賭けていく事も、自分の足でしっかり立つ事の人生の醍醐味を感じなくなってきて、
自分は無機質な、単なるつまらない人間なんだ、と自己重要感もなくなり、
人との本当のコミュニケーションもなく、現状がつまらなくなるのでは?
と思うんです。
どんどん孤独になっていく。
自分はたいした奴じゃないから
現状がつまらないから
人の悪口や不平不満を吐き出す事で、何とか維持しようとする。
その時は、カラ元気に楽しくても、家に帰って1人になれば、また虚しい孤独が襲って来る。
それならば、原点に戻りたい✨✨
原点に戻って、今ある全てに感謝したい✨✨
マザーテレサが言っていた言葉だと思うのだけど、
身体の飢え以上に、心の飢えの重大さを、説いていたように思った。
それならば、全てに感謝して、ワクワク生きて行こうと思います✨✨
†ルーシー†の独り言でした✨✨