普通の高校生と同じように、私もガラスの仮面や矢沢あいに胸を焦がしていたけれど、女子校において共学スクールライフは別世界であり、現実味のないおとぎ話。主人公の彼氏として描かれがちな生徒会長も応援団長も、重い物運んでくれる人もリレーのアンカーも、女子校では女子がやる。
勿論思春期に高鳴る胸のトキめきは本能的に抑えられないもので、ちょっと優しく接してもらった同姓の先輩にタカラヅカ的なファンとなり(女子しかいないからしょうがない)、ハチマキもらったりバレンタインデーのチョコに念を込めたり。でも大抵は両想いになりたい訳じゃなくて、アイドルへの好きと似たる憧れの範疇。ゴールが付き合うという発想じゃないから対抗意識は芽生えず、同担歓迎にて一緒にキャーキャー言っている。そして不思議と卒業したらあっけなくその熱は冷め、さながら夏の夜の夢と化す…。
世間の高校生が異性の目を気にして、どれだけ身支度に気を遣っているかなんて露知らず、膝丈ジャンパースカートにひっつめ頭で、日々通学電車に揺られておりました。
やっと本題に入るんですが、そんな高校生活を送った私が、大学で面食らったのは、好き=付き合いたい(=特定の人を決める)という人間関係。高校時代は気が合う仲間と複数人でつるんでいたし、好きな先輩が誰かと被っても良かったのに(まぁ先輩のハチマキの奪い合いはあったけど…)、好き同士となると1on1でパートナー化する。パートナーは、お互いがお互いにすっごく踏み込む。当然恋人と友達関係が異なるのは理解できる。しかし全く後者しか経験してこなかった自分にとって、公表するにせよしないにせよ、誰かと誰かはパートナーなのであるという世界があり、カップルで校内を闊歩している人々を目の当たりにして、付き合うとはこういうもんなのかと18歳にして初めて面食らった。
そんな自分が、想定外の方面から好意を向けられた際には、更に面食らってしまった。恐らく女子校時代のテンションが抜けぬまま、あっけらかんと気を遣わず大雑把だった態度が、ナチュラルだとか接しやすいだとかという風に勘違いされたのだ。とはいえ、本件にどうやって対処するのが正解なのか、咄嗟に答えを持ち合わせておらず、思考回路が完全停止した。
話は戻るが、女子校ではあらゆる会話が同調と共感で構成されている。学校が世界の全てなので、教室移動やお弁当で1人ぼっちにならないよう細心の注意を払う。同級生と上手い距離感を維持するため、(自分の性格も多いにある気がするけど)時には自分の意見を押し殺してでも同調してきた。つまり、人間関係において、相手にNOを伝える練習をあまりしてこなかった。
なので恐ろしいことに、好意を寄せられた時、本能的にはNOの二文字が浮かんだにもかかわらず、それを表明するより前に、(私はこの好意に向き合って、好きになる努力をするべきなのだろうか…?)とよぎった。
その点、少女漫画は鮮やかに答えを提示してくれている。
言わずもがな、少女漫画の主人公はモテてモテてモテまくる。近しい男性からどんどん告白され、始め片思いしていた彼に玉砕しても、自分を最も大切にしてくれる相手が誰なのかを遂に知り、両想いというハッピーエンドを迎えるのが常である。
逆に、気持ちが動かない相手からの好意に対しては、しっかりとお断りを表明する。相手の気持ちに感謝しつつ、ハッキリNOを伝える。それこそが礼儀であり、可能性がないのに気を持たせるのは失礼なのだと論じてくれる。フラれた相手はとても落ち込むけれど、気づけば吹っ切れて、次の恋に踏み出したり、主人公を支える良き友人になったりするのである。
私が少女漫画を読み始めたのは結婚も出産も終わった33歳の時だったので、この暗黙のルールを今更知って大いに後悔し、納得した。みんなこれを履修してきていたのか、と悟った。そして当時自分に矢印を向けてくれていた人の好意に対し、自分の気持ちをしっかり整理して、もう少し丁寧に伝えれば良かったと後悔した。面食らった勢いで有耶無耶にしすぎて、今になって思えばかなり傷つけたと思うし、私も傷ついた。もしかしたら、少女漫画を履修済みだったとしても、現実世界では気持ちをはっきり伝えられず、何となく実にならずお別れしていたかもしれない。でももう少し、自分の気持ちに名前をつけたり、相手としっかり向き合わなければという気持ちになれていた可能性はある。
何にせよ、これから人生の春を伝える若者におめでとうを伝えたい。そして、人との出会いを大切に、相手にも自分の気持ちにもしっかり向き合ってみて欲しいと願う。





















