最近
思うと7月から何も書いてませんね。様々なことがあり、書くことができませんでした。今、とても悲しいです。私は本格的に末期の状況にいるようです。大雑把ですが、あれから。。。東京の癌専門病院での治療が効果なしのため打ち切られ、その後、実家近くの病院で緩和ケアをしていました。治療が終わる時、病院側の対応はあっけないもので本当に悲しかった。仲良くしていたCRCさんは今でも親切にしてくれ相談に乗り繋がっていますが、患者数の多い病院の医師はコロコロ入れ替わり、最後のチームはここ4ヶ月の付き合い。「治療をする目的の患者でなくなれば、全国から患者が押し寄せるのだから相手にしていられない」と怪訝な顔ではっきり言われ、治療が終われば縁が切れればバイバイという。。私まだ、普通に一人で生活できる!動ける!食べれる!どうして?!どうして治療が終わるの?!何度問うても、治療の「ち」の字さえ言えない圧力でした。うちはこの結論以上!という。5年前、ここに来た当時を今でも昨日のことのように思い出します。あの主治医に当たらなければ、、起きた出来事、その後の辛く苦しかった長い道のり、思いがどっと押し寄せ、最期の冷たい対応に、なんでこんなことに。。。??、涙がただただ止まらず号泣して病院を去りました。あの主治医に当たらなければ、私はもっともっともっと生きられたのかな。。頭は真っ白で、もうヒッチャカメッチャカ。ソーシャルワーカーさんを通し、緩和ケア病棟という病棟のシステムの理解、治療の終わった患者を受け入れる病院との連携、顔合わせ目的の診察、やることは結構多かった。この数年続いた戦いの疲労感がどっと押し寄せ、死に向かうための気持ちの整理や準備、標準から外れた治療を素人はどう見極め取捨選択していけばいいのか、環境の変化、適応障害、住居問題、全てが一気に押し寄せ、頭は疲れ果て、優先順位さえつけられなくなっていました。その後の現実逃避。私は癌患者としての自分に疲れ果て、普通の人生に戻りたくて、癌を見たくなくなりました。情報を探すのも疲れ果て全てから逃げたかった。ストレスなく楽しく生活したら、進行も遅れるのでは〜?などど、奇跡の身近な例を見て、まだまだ自分も大丈夫、死ぬはずなんてないというあわぬ期待も抱いて夢を見て。貴重な時間を浪費し大馬鹿だった。もう少し早く動いていたら間に合ったのかもしれないのに。メンタルが相当強くなければ、生き残れない。体調は行ったり来たりで、体温調節ができなくなったり、おかしな発汗が止まらなくなったりそんな日々が多くほぼ寝込んでいたり、癌末期症状で出る足の浮腫みは出たり入ったり。パンパンになったかと思えば、スッと骨が浮き上がるような普通の状態に戻ったり。それなりの体調不良はあり、普通でなかったことは確かです。鎮痛剤も、麻薬テープ&内服ともに量は増えていきました。腫瘍マーカーは今まで見たことないスピードで急激に上がり、CT画像も増悪していきました。体調に自信がなく、関西まで一人で新幹線に乗っていくことは怖くてさすがにできなかった。でも今思えば、まだまだ全然動けると言える状態でしたね。すぐに起き上がって、必死に戦い続けたら。。。暑さが収まって行くと共に、体調もなぜか少し落ち着いてきて、治療をどうするか迷った挙句、結果的に、実家近くの緩和ケアを受けている病院で、ジェムザールの抗がん剤を始めました。始めた途端、お腹が膨れ出し、腹水胸水が出てきて抜きました。進行の速さに、とてもショックを受けました。食事は少しでお腹一杯になって食べられない、胸水のせいで苦しくて横になって寝ることができず半身上げた状態で寝たり、何度も息苦しくて目覚める。でも水を抜けばまだまだいけると期待していました。しかし、お水を抜いても何故かお腹がどんどん凹まなく硬くなっていく。。。膨れたまま。。。嚥下障害も出てきて、食事が食道をすんなり通っていかないことが頻繁に起きました。薬による乾燥と説明を受け(実際は肝臓腫瘍が食道を圧迫だった)、詰まっては吐いてを慣れないうちはしていましたが、とてもゆっくり細かく食べること、パサパサしないものを食べることで慣れると回避できました。ある日、お腹が痛み出しました。私は以前腸閉塞をしているので、腸閉塞の痛みは理解していると思っていました。時間とともに増していく痛み、数分感覚くらいで出ては引っ込む痛みが続く。今回は、それとは違う痛みだったのと、そこまで激しくなかったのであまり気にしていなかったのですが、痛みがおさまらないので救急で病院に行くことに。CTで腸閉塞と診断されました。それも、腹膜播種で腸にも腫瘍が播種して、腸全体が癒着し動かなくなってしまい、腫瘍が消えない限り、治す方法がない腸閉塞でした。ジェムザールも打ち切り、ストマ手術もできない(なぜ私だけ??)、点滴も腹水がたまるだけなのでしない、ポートを設置しての高カロリー輸液も癌に栄養を送るだけなのでしない。固形物は取らないで、飲み物もゆっくりするように。。。。では、どうして栄養を取ればいいんですか???????癌のスピードによりますが、細々と取れるまで、自力でできるだけ栄養を取りゆっくり衰弱するか、腸穿孔になる危険があります。。。この日本で、食にあふれた日本で、食べたくても食べられなくて死ぬなんて、そんな残酷なこと、私考えられない。。。その日は飲食をしなかったので、腸が落ち着き痛みも消え一旦自宅に帰りました。でも飲食すれば痛みがどうしても発生する。痛みのコントロールをしましょうということで、2日後に入院になり24時間モルヒネ投与が始まりコントロールを続けています。もともと我慢できないほどの痛みではなかったのですが、水分だけでなく、おかゆなどを1食は口にしていたら、その蓄積のせいなのか泣き叫ぶくらいの激痛が襲った日があり、モルヒネ量が一気に増えました。今ではほぼ寝ていてもおかしくないようなモルヒネ量だそうです。(でも私は起きれるんですよね、それだけ痛いという事実の裏返しと先生は言うけど..)もう友人知人たちとワイワイ外食ができないなんて。。。もし出かけれたとしてもお茶やスープだけ??それさえ慎重にゆっくりしないと死ぬの?!ここまで死が目前に来ても、私はまだ治したいし、生きるビジョンしかやはり頭に入ってこない。受け入れられない。社会復帰し、働いて、自由に楽しく行きたい!!!普通の人生に戻りたい!もう楽しいことだけしたい!もう苦しいのも、痛いのも、辛いのも、何もかももう嫌だーー!!自分の力で電車や飛行機に普通に乗って、自由に好きなところへ行き楽しみたい!そんな生活がまだまだできると思ってた。思ってる。ほんのすこし前まで、普通に食べれたのに。。もっともっと食べて美味しい時間、楽しい時間をワイワイ過ごしたかった。こんなことになるなら、もっともっと東京に居て楽しい時間を過ごしたかった、時間を有効に使えばよかった!!!何故頭が全く働かなくなってしまったの??!!!!久しぶりにamebaに入りブログを拝見させてもらっていたら、楽しい世界が広がっていて、夜中にすごくすごく悲しくなってきてしまい、久しぶりだけど泣き言...許してください私もその中に入って楽しい時間を過ごしたかった。ひとまず目標は、モルヒネ量を調整し、自力コントロールができるような状況になり退院すること。退院したい。どうにかしたいよーー!!!奇跡的な治癒があれば。。!!!お腹さえどうにかなれば、問題ないのに!!治療だって探してる!!!死が目の前に迫ると、なぜこれほどまでに私にとって死が怖いのか?友達と話しをしたり。最後、本当にどう生きるか、どこで生きるか。。東京に戻るか。。片田舎の病院で、お見舞いも少なくひとりぼっちはさみしいです。そんなこと言ってる場合じゃないのもわかるけど、状況は日々変わります。。生活の拠点を移すことで、予想外のまさか...といういろんなことがありました。いろいろ考えてしまいます。そういう話しはまた機会あれば。。今日はひとまず!写真は、こんな片田舎までお見舞いに来てくれた友人からたくさんたくさんお土産を頂いた。手作りのアルバムや写真立てまで。ありがとう 涙PC閉じようと思ったら3:33分こんなもの信じるかー〜〜!エンジェルやスピリチュアルやみんな嘘ばっかり!!裏切られ続け、廃れてもう信じなくなって久しい私ですが、エンジェルナンバ−333を引いてみた。333のエンジェルナンバーの意味とは?http://niconicohappy.com/three3/http://newage.tokyo/angel/number333/死に向き会う時、スピリチュアルを信じると心が軽くなるのは事実です。