私は人間のズルさや、弱さに飲まれてる所を見るのがとても苦手だ。
弱いのはいい。誰だってそうよ。
負けないでほしい。
負けてる人の行動の動機は保身だ。
そういう一面が垣間見えた瞬間、きれいな水に墨を落とされたような気持ちになってしまう。
『少しのしぐさでもダメになっちゃう』
のだ。
かく言う私も人間で、
人間が作った社会で生きていくには
やりたいことをやろうにも大抵「人と関わる」が基本オプションで付いてきて、毎回同じところで嫌になる自分の気難しさにほとほと困り果てていた。
そしたら今日、
なんでかはわからないがフッと、
一瞬だけ「別にいっかどうでも」という気持ちになった。←どういう気持ちか説明しようと試みたけど言語化が難しすぎて一旦挫折。
この気持ちでいられる時間を延ばしていければもっと自由になれるだろうな。
ところで、『優しさ』とは、
ズルさがないことだと思う。
保身が動機でない行動のことだと思う。
優しい人であるには、自分は大丈夫だという漠然とした、でも確かな安心感がお腹の底にドーンとなきゃいけない。
それがある人の優しさは、本当の優しさだ。
本物じゃない優しさは、向けられると搾取されるような不快感に襲われる。
すごく傷ついてしまうこともある。
人間は、いや、世界中の人を知っているわけでもないのに広げすぎた、
日本人は、偽物の優しさで搾取し合ってばかり。
のように見える。少なくとも私には。
本物の優しさを与え合って、お互いの大丈夫がより高まって、周りに配らなきゃ余ってしょうがないくらいの愛が全員から溢れ出すような、そんな世界になればな。