結局、8月末日で退職が決まった私はこの後、どうしようか迷っている。

働いた方が、月に使うお金は増えるし、今回の勤務で色々買う事は出来たが、出来ればまだ欲しい物もある。その最たるものは、来年のおせちの早割購入だ。どうしよう…。

あれから、「自分の好きな仕事を好きなように好きなだけやる」事を画策する私は、筋は通りながらも、我ながら夜な夜な危ない仮定を立ていた。

まぁ、それは今は置いておいたとしても、徐々に減り続けているコロナの新規感染者(本当に事実なのだろうか?)、予定よりも1ヶ月も早い予防接種の実施(何か別の理由があるのか)もあって、もしもまだまだこの状況が続くと言うのであれば、次の仕事を探したいと思っている所だ。

そこで本題に入るが、仕事をしている最中からも気になっていた事があって、それが今の世の中で「働く」事の本質というものだ。

元々、職務経験も浅く、「やりたい仕事をやる」事にこだわり続けた私にとって、それは分からないながらも気になっていた事だった。

もし、それが分かれば、私は周りの何年も働いている方々と同じように、「自分のやりたい仕事」に挫折をして、もう二度とその仕事をしたいとは思わなくなる。パン製造の仕事ならば、一生「パン作りマシーン」で終わると言うわけだ。

私はその「挫折」の予感(と言うべきか?)を感じながらも、それがどのような事なのか、想像してみた。

例えば、ただただ毎日毎日同じ仕事を同じように、限られた時間で大量にこなす事…。

そして、自分の生活の為に生きていく為に、その為だけに、「疲れた」も「苦しい」も言えない。

発達障害の薬や睡眠導入剤を飲んだり、髪が薄くなる程の犠牲を払ってまで働く事…。

私自身も、世間で言うところの「たった週3」の勤務にして、精神的にも肉体的にもキツかった日々だった。勿論、働く喜びや助けてくれる人達の支えはあった上でもだ。

仕事から帰って見た鏡に映った自分の両面の下は珍しくシワが窪んでいたが、それと同時に分かりかけたような「働く現実」と一緒に、好きなだけ休んでいたら、消えてしまっていた。

そんなわけで、今の新卒数年もいかない子達よりも、私の「やりたい仕事」は挫折もないまま、可能性も無限のままなのだ。

「やりたい仕事」がこのまま出来ないまま、続行するのもありだ。

10月以降のシーズンケーキもシーズンブレッドも、より一層豪華になりそうなおせちを選ぶのも楽しみだからだ。

私が、本当にやりたい仕事をやりたいようにやる時、それは、私の近くのお店という企業で働くすべての人達が「もうダメだ。働けない。」と言って、お店を無人にしてしまう時、その時なのだ。