3/23 朝5時43分
父が亡くなりました。
ご飯が食べれない〜と
入院してから38日。
5時すぎ母から電話があり
急変したから急いできてくれと。
5時半頃には母姉私の3人
到着したけど
そんな時でも
一旦食堂でお待ちくださいと。
40分ちょっと前にやっと呼ばれて入室
声かけるも反応はもちろんなし
え??息 してないんですか?
はい。5時頃から呼吸停止していました。と
もう
着いた時には亡くなってたんです
すでに心肺停止で
色々あったのか知らんけど
待たせる必要あるのかな
すぐ通してよ。
5分10分待ったよ
電話くれた時は
かすかに心音はしていたそう。
部屋に入ってすぐはまだ
あたたかかった。
まるで 寝ているようでした。
夜中の見回り?では
声かけたあと頷いたりしていたそう。
徐々に痛み止め強めていたから
意識も朦朧だったかも。
苦しんでなかったですか?
と聞くと
苦しんだりはせずに穏やかに、
と言ってました。
本当かは知らないけど
苦痛のない表情はしていたから
本当なのかな。
そうだといいな。
耐えきれない痛み、苦しみに
1ヶ月弱耐えて
早く解放されたかったよね。
やっと解放されたね。
かすかな希望でも
私たちは捨てなかったけど
勝てなかったね。
わかってはいたけど。
少し早すぎるよ。
おじいちゃんだもん
体力が追いつかなかったね
それでも70歳迎えたばかり。
まだまだ生きて欲しかった。
23日の午後
面会させてもらいに行こーって
姉と約束してました
22日
母ひとりで行ったけど
担当看護師もいないし
婦長も見当たらないから
会えるか聞かなかったそう
本当は火曜の22日に
病院いこうと思ってたけど
22日 遠方から帰ってきてる友達と
会う約束をしたから
23日にしたんだよな。
22日に行けばよかったなあ
一人で
寂しかったよね。
帰りたいって言ってたよね
こんな形で帰ってくるなんて
寂しすぎるけど。
やっと帰ってこれたね。
早朝だったので
翌日通夜もできたけど
帰ってきたかったんだもん
長く家に居させてあげたいねって
1日多く家に居ました。
それでも
打ち合わせやらなんやらと
本当にバタバタと
あっとゆーまの4日間。
告別式を終えて
帰ってくると
はあ、、
本当に死んじゃったんだな。
終わっちゃったな。
と 実感。
全て終わって少しホッともしたけど
母が大丈夫か心配。
なるべく泊まってあげたいけど
姉もウチも家庭があるから。
毎日とはいかない。
今日とりあえず帰宅しましたが
夜に一人は辛いよなあ。
通夜には本当に本当に
たくさんの方に参列していただき
たくさんの方に泣いていただき
たくさんの言葉をかけていただき
ああ
こんなに愛されていたんだなと
感じました。
葬式でその人生の価値?
結果?が表れるとは思いたくないけど
そう思っちゃったね
口数は少ないけど
ユニークだったり
言葉にしない優しさ
それを行動にでき
みけんにシワ寄せてたり
優しい✨って顔はしてないけど
(むしろ仏さんになった方が
本当に穏やかな顔をしていた)
今まで周りを大切にしてきたから
たくさんの人に見送ってもらえたんだね
まだまだ
現実を受け止めると寂しいけど
長ーい出張にでもいってるんだ
と思うことにしよう、と
家族で話してました。
癌と告知されてから
わずか2年半
無治療だと余命2年なんて
言われましたが
治療をしても
2年ちょっと。
タチの悪い癌だったんだね
骨は痛むというけど
本当に本当に
信じられない痛みがあるんだろうな
後悔はたっっっっっくさんある
親孝行とゆー親孝行
できてないと思う。
けど
大好きなカレー系
作った日は差し入れしたり
大好きな和菓子みつけたら
買って行ったり
本当に小さいことだけど
少しは
いい娘でいられたかな、
何十年後だろう
また家族集まろうね。
転生しないで待っててね。笑
記録として残してきて
誰かのためにでもなれば
って思いがあったけど
ぜんっぜん
大した記録残せてないな
ただひとつ
癌にはたくさんの種類があって
同じ癌、同じステージでも
長く付き合っていけることもあれば
頑張っても負けてしまうこともある。
それは誰にも分からない
大丈夫そうだなと思ってても
いつどうなるかは分からない。
いつ最悪の時がきてもいいように
自分も周りも
後悔のない生き方をしないとな
ってことはわかりました。
そんなのは癌に限らずだけど!
毎日を送ってると
そんなこと思わないもんね
大切な人との時間
明日はないかもって
毎日思いながら
過ごしていこうと思います。
おそらく。
今日が最後の投稿かと思います。
ありがとうございました
