
人魚姫はあの日
初めて王子様を知った日のことを
思い出していました
あの日と同じように
それは賑やかに晴れやかに
船上ではお祝いの宴が開かれていたのですもの
あの日と違うのは
自分も船の上にいること
お祝いの踊りを踊っていることです
ナイフを突き刺すような痛みも
今は気にならないくらい
胸が傷んでいることも
誰にも気がつかれることなく
ありったけの笑顔を振りまく
そんな 人魚姫の姿を見て
褒め称える人々
今までにないくらい 見事な踊りを踊る
王子と姫君は 幸せそうに
その祝いを受け取る
王子は美しい花嫁にキスをし
花嫁は王子の黒髪を撫でる
手と手を取りあい
立派な天幕の中に入っていくのです
二人は確かな約束契約の元
祝福されて 結ばれたのよね
人魚姫は二人の後ろ姿を
胸が張り裂ける思いで見送る
明日 日が昇る時 自分は泡になって
無になるのだわ
恐ろしかったに違いありません
人魚姫は それがどのようなことかを
知っていて
そこから抜け出したかったのだもの
人魚姫はお姉様たちから受け取っていた
人魚に戻る「機会」を手に持ってる
お姉様たちの美しい髪と交換した
短刀
自分が泡になるか
王子を殺すか…
人魚姫は天蓋をそっと開けて
王子と花嫁の姿を見るのよ
王子の額にキスをすると
「人魚姫は鋭い短刀をじっと見つめては、また王子の上に目をこらしました。その時王子は夢の中で花嫁の名を呼びました。王子の心の中にあるのは、花嫁一人だけだったのです。」
自覚したのよ
愛しい人の心には 決して自分がいないことを
名前を呼ぶ
それは その者の本心を知れるところだもの
名を呼ぶ行為はね
その思うところよくわかるのよ
ただの呼びかけなのか
存在を呼んでいるのか
言葉の中で 一番大切なところ
呼びかける時と存在を呼ぶのとでは
伝わる気が真反対に違い取れるのよ
「呼んでみただけ!」
ってね
息子達にわざとすることあるんだ
呼びたいもの
確かに存在している って
胸に感じるもの
「お母さん」って 呼ぶから
「なあに?」って応えたら
「呼んでみただけ!」って言う
そんな時 見合わせながら 笑うのよ
大好きな一時です
人魚姫は愛しい人に
一度も名前を呼んでもらってない
「可愛いおしの拾いっ子さん」と呼ばれていました
玩具だわ…
名前がわからないからって
そんな呼び名酷いもの
ちゃんと名をつけて
きちんと呼ぶこと大事な事です
そうでないことをするのは
尊厳を無視した行為だもの…
人魚姫は もう うっすらし始めた目を凝らして
もう一度王子を見ました
そして 短刀を海に投げ捨て
自らも飛び込むのです
もう 自分の身体が泡になってゆくのを
感じました
そして人魚姫は
泡の先の世界に行くことになりました
そこは…無 ではありませんでした
人魚姫が聞いていたお話と違ったのよ
そこには
道徳と思想の混在があって
捉え違いしてはいけないところなのだけど
それは
海の中の世界の住人と
空気の中の世界の住人に
教えてもらおう