片田 利恵の自己紹介!
やらないで後悔するより、やって後悔した方が良い!がモットーの私(笑)!
ついこの前、満50歳になりました〜。
鹿児島県いちき串木野市、昔は大間にも負けないくらいの「マグロ」の街、鹿児島県
ではさつま揚げ発祥の地として知られている所で生まれました。
もちろん、父はマグロ漁船の船長でしたので、1年に一ヶ月と一週間しか会えない生活
が当たり前で、同級生との会話で「今日はお父さんが帰ってくるんだ」という会話が
当たり前な幼少期でした。
母方のおじいちゃんや叔父さん達は、船で鯛などの一本釣りをしていたので、小さい
頃は一緒に海に出ていくことも大好きで、おじいちゃんが「なぜ私が男の子に生まれ
なかったのだろう」と悔しがっていたというのを今でも父に聞きます。
という位男まさり私です。
なぜか、小さい頃から病院の「解剖の検体」が入った臓器を、恐々しながら見に行っ
たり、家庭の医学の解剖図を興味津々で見ていたのから、天職だったのか?幼稚園の
将来の夢が「看護婦さん!」だった私は、ためらう事なく看護師を目指し、20歳で都
会の大学病院へ新看護師さんとして就職。
やっぱり、幼少期の血が騒いだのか、看護師もオペ室勤務を希望し(笑)、新人時代
の先輩から「心臓外科のオペの経験がないとオペ室に勤務していたとは言えないよ」
を言われた言葉が引っかかり、30歳の頃心臓専門病院にて心臓外科のオペ室勤務も経
験しました。
28歳の時に、なんとなく看護師と家の生活だけではつまらないな〜と思ったとがきっ
かけで、自宅サロンをしたいと思い色々な習い事をしました。
その中で、元々好きだった「占い」をやってみない?向いてるわよ!と占いの先生に
言われたのがきっかけで、占いの道に入ります。
そして、占い→カラー(色)の世界にも入り、はまっちゃいました。
(ここは、ごあいさつに書かせてもらいました)
自宅サロンをしたかったもう一つの理由には、
私には7つ下の大好きな妹がいます。
3歳の頃に知的障害がわかり、自閉症の妹です。
身体は元気ですが、トイレやお風呂などの介助が必要です。
家がとても大好きな妹なので、日頃は知的障害者施設へ通所をしていますが、私は独
身ですし、看護師をして夜勤も日勤も勤務時間を考えると、このままだとゆくゆく施
設へ入所しないと続けらない現実がいつかやってきます。
私の占いの西洋占星術でも、へたすると一生独身(笑)! 家族大好き!は出てます
よ。大器晩成もあるので、これも実現させるために頑張ります!
家が大好きな妹と、ずっと楽しく家で暮らすために!その想いもあって自宅サロンを
開業しました。
もちろん、施設の職員の方々や利用者の方々も大好きです。とても良い施設に通所さ
せていただいて良かったと思っています。
けれど、どうして「障害がある人は、家族の生活ができないから施設に入所させる」
のが当たり前の世の中なのでしょう。。。
私は、「家族と一緒に過ごす」選択肢があっても良いのではないか。。。と思うのです。
なんとなく小さい頃から、そんな想いを持って生きてきました。
これは、私の人生の挑戦でもあります!
ミラクル・ハート 片田 梨恵