『りく』日記 -2ページ目

旅立ち

随分なご無沙汰で
おそらく、ここを見てる人は
もういない…

そう思ってますが

でも、ケジメとして…ご報告

2016年3月16日 午前1時35分
りくちんは旅立ちました。

2006年9月15日に生まれて
9年と半年という猫生
本当に短い猫生でした。

まだまだ、一緒にいるつもりでした。
もっともっと、一緒に時間を過ごして
もっと一緒に、年を重ねるはずでした。

でも、叶いませんでした。

3月8日 突然食事をしなくなり
3月9日 オシッコの回数が、1日に1回だけになりました。
3月10日 病院に行った時には…腎臓の数値がとても悪くなってました。
それでも、家では、キャビネットに飛び乗ったり
普通にしていたので、
入院が必要となっても、すぐに帰って来ると思ってました。

入院して、静脈点滴を続けても
数値は下がる気配もなく
カリウムの数値も上がってきていました。

尿管に石が出来ていて、腎臓に溜まった水分が
膀胱へ流れず、尿が作れていない状態でした。
入院時、BUN 130、クレアチニン 13.6だったのが
BUN 278、クレアチニン 28まで上がり
カリウムの数値も7.9 と心肺停止すら危ぶまれる程になっていました。

とても手術に耐えられる数値とは思えませんでしたが
手術が成功して、腎機能がまだ大丈夫なら
希望がある…ということで
手術に踏み切りました。

手術自体は成功して、麻酔からも無事に醒め
面会に行くと、ケージから飛び出しそうな勢いで寄ってくる姿に
りくちんの頑張り、強さを改めて思い知らされました。
それが、3月12日のこと。

3月14日、夜にまた面会に行くのを
待ち遠しく想いながら、仕事をしていた私の携帯が鳴りました。
病院から…

容態があまり良くないとのこと
腎機能が回復する気配がなく
数値が下がってこないこと
カリウムの数値が、更に上がっていること
そして、少し意識もボンヤリしてきたこと
を告げられました。

仕事を、ある意味放り出して
病院に急ぎました
そして、話しかけても、目を合わせることのできないような
りくちんを見て
病院では、もうこれ以上できる治療がないということを聞いて
退院することをきめました。

りくちんを、知らない場所で、病院では死なせたくない
最期の時は、家で迎えさせたい
最期の時は、ゆっくり二人で過ごして迎えたい
その思いで、連れて帰ってきました。

家に帰ると、意識もはっきりしていて
ヨロヨロしながらも
フラフラして、数歩るくとバタンと倒れるものの
立ち上がる気持ち、歩く気持ちがありました。
ヨタヨタとしながら、私の膝に乗ろうと
寄ってもきてくれました。

私は、りくちんに
りくちんを、とっても大好きなこと。愛してること。
りくちんとの毎日がとっても幸せだと思っていること。
りくちんは、私にとって自慢のりくちんだということ。
りくちんに、とっても癒されて、救われて、支えられて、愛をもらったこと。
これからも、ずっと一緒にいようねということ。
うちに来てくれて、ありがとう。ということ。
そんなたくさんの想いを、一生懸命話しました。

そして、1日半をゆっくりと、一緒に過ごしました。

3月15日、午後から
少し、顔を見ても目を見ても、視線があわなくなり
小さく、ピクッピクッという痙攣が
間隔を置いて、始まりました。

3月16日 日付が変わってしばらくした午前1時過ぎ
全身に大きな痙攣が、間隔なく起こり始め
午前1時35分、りくちんは、旅立ちました。

りくちんは、最後まで最後の最期まで
とっても頑張ってくれました。
一生懸命、病気と闘ってくれました。

ちゃんと、最期まで一緒に過ごせたこと
最期を見守れたこと
心から、良かったと思ってます。

でも、それでも、まだ今でも
もっともっと一緒に過ごしたかった。
今でも、目を覚まして、何事もなかったかのように
起き上がってこないかな?って思ってしまう。

だって、いつもの寝顔と変わらない表情で眠ってるのだもの。

もっともっと一緒にいたかったね。
もっともっと、たくさん思い出作りたかったね。

りくちんのいない日々を
かぁさんは、どう過ごしたらいいか…わからないよ。

でもね、いつも一緒にいてくれると信じて
頑張るよ。
りくちんの、たくさんの頑張りに負けないくらい
頑張るよ。

だから、どうか…安らかに…

ありがとう
一緒にいてくれて、ありがとう
私の所に来てくれて、ありがとう
たくさんの楽しい毎日をありがとう
本当に本当に、ありがとう

りくちんに逢えて…本当に幸せだよ!