ふたつの腕時計
グランプリレースの先頭を走るマシンにチェッカー旗が振り降ろされる。
戦いはこの時終わり、オイルにまみれた騎士と馬は
クーリングラップを走って再びねぐらへと戻って来る。
そこには、チームメイトやジャーナリストや心を許した女が待ち受けている。
スタートとともに断ち切られた彼らと戦士との絆は、再び固く繋ぎ合わせられるのだ。
1983年F1オランダGPで、ロベルト・グエレロはテオドールN181のコクピットにもぐり込み、
戦いに臨もうとしていた。
90分余りの間、彼は孤独の中でもがかなければならない。
グエレロは、自分の腕に着けていた腕時計を外し、傍らにいた妻に手渡した。
もちろん戦うレーシングドライバーにとって腕時計は無用だ。
戦士は、日常の時の流れから解放されるのと引き換えに、
1000分の1秒という非現実の時間の中に放り込まれるのだ。
グエレロ夫人は、受け取った夫の腕時計を自分の腕に巻き付けた。
自分の時計と夫の時計が彼女の腕に並ぶ。
夫がスタート合図とともに轟音の彼方へ旅立ってしまった後、夫と彼女の間の思いはこの腕時計のみに委ねられる。
グエレロが彼女の立つメインストレートを猛然と駆け抜ける時、
彼の時計は彼女の腕でいつもどおりの時を刻み続けていた。
あってはならない事態が万が一発生したとしても、多分時計は何もなかったように
グエレロの時間を計り続けているだろう。
グエレロ夫人は、この時計が刻む時間が再び夫のものになることを祈り続けていたはずだ。
この日、グエレロの乗るテオドールはトップから4周遅れの12位で完走、チェッカーフラッグを受けている。
1時間39分33秒658の戦いを終えたグエレロは再び置き去りにしていた日常へと無事帰還した。
彼の腕時計も妻の手によって彼女の腕から外され、無事いつもの位置へと収まった。
戦いは終わったのだ。
80年代後半、 F1グランプリは急速にその姿を変え、スタートとゴールの儀式は
モーターレーシングというビジネスの作業のひとつとなってしまったように思える。
グランプリの主役は、コンピューターに制御されたレーシングカーと、
神を追いかけ日常を超越することを厭わない男たちによって演じられるようになったF1界。
その変化と時を同じくしてグエレロはグランプリを退き、活動の本拠を
アメリカのCARTシリーズへと移してしまった。
グランプリのような変化をきたさなかったアメリカのサーキットで、
おそらくは今でもグエレロは戦いへ旅立つ時に、腕時計屋を傍らの妻の手へ渡しているだろう。
グエレロのシールドを拭う妻の手。
人間の思いが、グランプリサーキットの上で
あたたかく光っていた時代の光景である。

原 富士雄 「ひとひらの繪」より